****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し完成します。******

内からの試練に対処するネヘミヤ

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5. 内からの試練に対処するネヘミヤ

【聖書箇所】 5章1節~19節

ベレーシート

  • 第4章において、外からの試練にぶつかったネヘミヤとユダヤ人たちは、毅然とした態度でその試験を切り抜けました。しかし第5章では、内からの試練にぶつかったことを記しています。これは外からの試練にまさるより深刻な難問題で、内部から分裂し自己崩壊する危険性をはらんでいました。ネヘミヤがこの重大な危機に対してどのように対処したのか、そのことに注目したいと思います。

1.  問題の所在は、深刻な経済問題

  • 神の民たちの間に起った問題を一言でいうならば、「経済問題」でした。この問題は城壁再建が始まってから始まった問題ではなく、むしろ城壁再建工事がはじっまてからよりはっきり浮き彫りにされた問題でした。むしろ、城壁再建工事は公共事業ではなく、経済的問題を抱えた切迫した状況の中で始まったいわば奇蹟的事業でした。
  • やがて、城壁は完成するのですが、5章にある難問題を解決することがなかったとするなら、その完成は到底実現することは不可能であったと思われます。それゆえ、この章から学ぶべきことは実に多いと言えます。
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  • 1節には、これまで鬱積した問題が火山が爆発するように「民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人に対して強い抗議の声を上げた」とあります。「抗議の声」「苦悩の叫び」「激しい泣き叫び」を意味する名詞の「ツェーカー」(צְעָקָה)がここで使われています。原文では、「抗議の声が生じた」となっています。
  • この「ツェアーカー」(צְעָקָה)は、神の民イスラエルがエジプトから救出されるときに上げた「叫び」と同じことばです(出3:7, 9)。この名詞は聖書で21回使われていますが、最初に使われている箇所は、神がソドムとゴモラでの「叫び」を聞かれて、その様子を調べるために三人の者が遣わされる箇所です(創世記18:21)。次は、弟ヤコブに祝福を奪われた兄エサウがそのことを知った時に上げた「叫び」です(創世記27:34)。そして最も重要な叫びは、エジプトで上げたイスラエルの民の「叫び」でした(出3:7, 9)。エジプトでのしいたげの叫びを聞かれた主は、モーセをパロのもとに遣わすために召し出し、彼らをエジプトから連れ出すように命じました。主は、貧しい者の叫びを決して無視さない方なのです。
  • 外部の敵に対しては、一致して戦った民たちも、内部の一致には困難を抱えていました。「ときに、民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人に対して強い抗議の声を上げた」とありますが、この「民とその妻たち」とは「貧しい人々」のことです。また、「同胞のユダヤ人」とは、富を握っている人々のことです。つまり、貧しい人々が富める同胞に対して強い抗議の声を上げたのです。そうせざるを得ない状況に達していたからです。
  • 2節~5節を見ると「貧しい人々」は、以下にあげる三つの要因が重なったようです。

    (1) 家族が大勢いるにもかかわらず、家族を養う食糧を得ることができない。
    (2) 土地や財産を持っていたが、「ききん」によって畑や家を抵当に入れなければならなくなった。
    (3) ペルシアの王に支払う税金のために、多額の負債を抱え込み、しかもその負債を返す力がなかつたために、自分たちの息子や娘たちを奴隷として売らなければならなかった。

  • これにの貧しい人々の「強い抗議の声」は、同胞の富める者たちが貧しい人々に配慮することなく、むしろ「ききん」といった自然的災害の中で利益を上げ、財を増やし、同胞のユダヤ人を異邦人に奴隷として売るという現実に対して発せられました。食糧の減少、ききんという自然災害、重税といった事態よりも、その事態に便乗する富める同胞に対しての抗議でした。これは神の民を内部から分裂させ、崩壊させるきわめて危機的な問題でした。
  • 初代教会においても全く同じではありませんが、似たような教会内部の問題が起こりました。

    【新改訳改訂第3版】使徒の働き 6章1節
    そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。

  • 生まれたばかりの教会は、霊的には現代の教会と比べるならば、いろいろな意味においてすぐれていました。毎日のように多くの人々を教会に引きつける魅力を持っていました神への細微と祈りという敬虔な面と、喜びと真心をもって食事を共にし、・・いっさいの物を共有して、それぞれの必要に応じて、みな分配するという生活面です。ところが、そんな教会においても、苦情が起こったのです。原文では「不平が生じた」となっています。そこは、ネヘミヤ記5章1節と似ています。
  • 初代教会で生じた「苦情」(「ゴングスモス」γογγυσμός)は、少数派であったギリシア語を使うユダヤ人のやもめたちが、教会から配給される毎日の食糧が、ヘブル語を話すユダヤ人のやもよりも少なかったり、質が悪かったり、遅かったりすることから生じた苦情でした。当時のエルサレム教会は霊的にはすばらしかったのですが、生活面では全体的に貧しかったのです。
  • こうした生活にかかわる問題は、どんな小さくても、悪魔に利用されるならば、その結果は恐ろしいほど破壊的なものとなります。小さな衝突の積み重ねが教会を内側から崩壊されてしまう懸念があります。それゆえ使徒たちはその問題を重視し、とりわけ評判のよい者たちにこの問題を解決するよう対処したのです(使徒6:2~3)。

2. ネヘミヤの「負債の帳消し」という救済策

(1) ネヘミヤの義憤

  • 6節で、ネヘミヤは民たちの抗議の声を聞いて「非常に怒った」とあります。なにゆえに、何に対して「怒った」のでしょうか。ちなみに、教会の歴史において霊的改革をした多くの人々はみな正しい意味で「怒ることのできた人」でした。まず、イエスがそうでした。神の宮が祈りの家ではなく、強盗の巣になっていることに対してひどく怒りました。ルターも教会が財政を確保するために、免罪符を人々に売りつけているのを見て怒りました。ネヘミヤの怒りは富める者たちが神の律法に従っていないことに対する怒りだと思われます。

(2) ネヘミヤの冷静沈着さ

  • ネヘミヤは怒ることのできた人でしたが、ここで注目したいことは、怒りの衝動(義憤であったとしても)をすぐに行動に移すような人ではなかったということです。7節を見ると彼は「十分考えた上で」とあります。理想的な改革案でも、情熱に走って失敗することが多々あります。「十分考えた上で」というこの一句は、神への奉仕に携わる者にとってきわめて重要だと信じます。ネヘミヤは今置かれている状況に義憤を感じながらも、冷静沈着に、自分に問いかける余裕を持っていました。沈思黙考して、神の声を聞こうとしたと思われます。一時の義憤や情熱や感情で突っ走るのではなく、「十分に考える」(これは「自分自身に助言を与える」という意味)余裕を持つことを心がけたいものです。ネヘミヤが打ち出さなければならない救済策は、だれもが納得のいくものでなければなりません。実行の可能性を高めるために、ここでも救済策における動機づけを十分に練ったものと思われます。指導力が発揮されるのは、的を射た「動機づけ」です。

(3) ネヘミヤの提言

  • さて、ネヘミヤが打ち出そうとしている救済策を見てましょう。

    (1) 富める者たちを非難した
    解決策に向けたネヘミヤの第一弾は、大集会を開いて、「おもだった者たちや代表者たち」を非難したことでした。それらは「富める者たち」です。彼らは神の律法に違反している事実を責めたのです。
    その事実とは、
    ①「あなたがたはみな、自分の兄弟たちに、担保を取って金を貸している」こと
    ②「あなたがたはまた、自分の兄弟たちを(奴隷として)売ろうとしていること

    • ネヘミヤの叱責は、聞いていた者たちを黙らせました。

    (2) 神の民の基本的姿勢(神の民としてのアイデンティティー)の訴え
    ネヘミヤは「あなたがたのしていることは良くない」と責めただけでなく、神の民としての本来の基本姿勢をも訴えました。その訴えとは、城壁再建を訴えたときと変わっていません。すなわち、神の民が敵のそしりを受けないように、神を恐れて歩もう」との訴えです。ネヘミヤのこの基本姿勢を別の言葉で表現するならば、ヨハネの福音書13章34~35節にある「新しい戒め」ということになると思います。

    「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛しなさい。わたしがあながたを愛したように、そのように、あなたがたも愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

    ネヘミヤはこの基本姿勢に立って、10節以降の具体的な提案をしたのです。

    (3) 神の律法による「負債の免除」
    ネヘミヤの提案は「負債を帳消しにしよう」というものでした。貸していたお金と利子の返却の呼びかけでした。すると、聞いていた人々が「私たちはあなたの言われるとおりにします」と約束したのです。


3. ネヘミヤの指導者としての模範

  • 「負債を帳消しにする」ということは、貸していた者にとってはなんの利益もありません。彼は人に要求した以上のことを自分に課しました。具体的には、ネヘミヤが総督としての給料を一切受け取らなかったということです。しかも彼が総督として赴任した13年間の間です。
  • 城壁再建事業において、総督としての仕事はするが、それに対する一切の報いは受けないという態度です。ではどうして生活できたのかという疑問が起こります。17, 18節には毎日150人の食事をもってもてなしていますが、その費用はどこから来たのでしょうか。文無しではそんなことはできません。おそらく、彼が王の献酌官であったことを考えると、多少の財産はあったと思われます。いずれにしても、彼が城壁再建の働きにおいての報酬は一切受け取らなかったということおいて、このプロジェクトが完全に神の栄光のためにささげられたものであったと言えます。


2013.11.1


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