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創世記全体のまとめとしての瞑想

56. 創世記全体のまとめとしての瞑想

【聖書箇所】 創世記全体を通して

はじめに

  • 「聖書を横に読む」の「創世記」を終える当たって、自分なりのまとめとしての瞑想をしてみたいと思います。
  • アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主」、これが永遠にわたる神の名であることを啓示されたのは、やかでイスラエルの民をエジプトから救い出すべく遣わされたモーセでした。モーセはその名によって呼び出され、召し出された、遣わされたのです。この「アブラハム、イサク、ヤコブ」に共通するものと、そうでないもの。あるいは共通しながら、微妙に異なるものとは何かを瞑想したいと思います。

A. 共通する部分

1. 長子の権利を与えられて祝福した

長子という権利を神から与えられたがゆえに、神から祝福され、また祝福する権威を与えられたこと。アブラハムは父テラの長子でしたが、イサクはアブラハムにとっては長子ではありません。ヤコブも長子ではありません。ヨセフもヤコブにとって11番目の息子であり、長子ではありませんでしたが、それぞれ長子の権利が与えられていました。ヤコブはそれを奪い取ったもののすでに神の主権によって与えられていたものと言えます。

長子の権利(祝福する権威)の系譜は、必ずしも人間的な意味での血筋の序列ではなく、神の主権的な選びによってつながっていくことが分かります。

① アブラハムからイサクへ
② イサクからヤコブへ
③ ヤコブから12人とヨセフから生まれた二人の息子たちへ

2. 自分の妻が不妊であったこと

① アブラハムの妻サラ
② イサクの妻リベカ
③ ヤコブの妻ラケル

3.  飢饉を経験したということ。しかし、その対処はそれぞれ異なっていた

① アブラハムの場合・・神の沈黙 自らの考えでエジプトへ行く。
② イサクの場合・・・・神の指示により、カナンに留まる。
③ ヤコブの場合・・・「エジプトへ下れ。恐れてはならない」との神の指示によりエジプトへ。


B. 相違する部分

1. 神の真理の啓示する内容が異なっている

① アブラハムの場合・・神が父であり、すべては神である父から必ず与えられるという真理。
② イサクの場合・・・ アブラハムに与えられたすべて(神の約束も含む)を受け取るという真理。
③ ヤコブの場合・・・祝福を受け取るにふさわしい器として神によって整えられるという真理。

2. 神の前に常に主体的(自発的、自覚的)に歩むということ

① 「歩む」という「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形の再帰態(ヒットパエル態)が、アブラハムとイサクに使われています。48章15節でヤコブがヨセフを祝福するときに、「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神」と述べています。この「歩む」がハーラクのヒットパエル態なのです。
② また、「歩む」(הָלַךְ)がヒットパエル態として使われている人物は、他に、エノクとノアがおります。
③ ヤコブがアブラハムとイサクと同様な歩み方をしたのかどうか。自分のひとり子を惜しむことなく神に従ってささげようとしたアブラハム、あるいは、どんなに妬まれ、いじめられても決してそれに対抗することなく、争うことなく歩んだイサク。そのような歩みはヤコブの生涯には見られません。ヤコブには取り扱われなければならならい部分が多くあったのです。


2011.11.18


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