呼び水として、詩篇に関する書籍を援用すること
31. 呼び水として、詩篇に関する書籍を援用する
- 人から教えられること以上に、自分から学び、そこから何かを発見したと感じるときは大きな喜びを感じるものです。詩篇の瞑想の喜びは、神のすばらしさを発見し、それを味わうことにあります。しかしときには、詩篇を読んで瞑想しようとしても、そこから何も見出すことができないことがあります。そのようなときは「呼び水」が必要です。井戸の水が出ないときに、呼び水を注ぐことで井戸から水を汲み出すように、他の人の瞑想したものを利用することです。
- 今日、いろいろな方の詩篇に関する書籍が出版されています。それらは瞑想の産物です。ですから、そうしたものを「呼び水」として利用することです。自分が瞑想する前に、そうしたものに助けを求めることはふさわしくありません。なぜなら、瞑想する力を養うことが出来ないからです。できるだけゆったりとした時間を持ちながら、助けを借りずに、まず自分で瞑想することが大切です。
- また、自分の瞑想が独断と偏見に陥らないようにできるだけ多くの聖書の訳を参照したり、自分の瞑想の後で、他の方の瞑想したものにも耳を傾ける心の謙虚さが必要です。そのことで瞑想の視野が広げられ、深められることでしょう。ただ、優先順位とバランスが必要です。