嘆きを踊りに変える神(プリムの祭の制定)
ネヘミヤ記、エステル記の目次
8. 嘆きを踊りに変える神 (プリムの祭りの制定)
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【聖書箇所】エステル記9章1節~10章3節
ベレーシート
- アダルの月(第12の月)の13日、この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたにもかかわらず、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった、記念すべき日です。
1. 悲しみが喜びに、喪の日が祝日に
- エステル記9章の1節と22節に「一変する、変える」と訳されたヘブル語動詞の「ハーファフ」(הָפַךְ)が使われています。「状況を一変させる、ひっくり返す、転倒する」という意味です。かつて、ハマンはユダヤ人たちを撲滅させる日をくじで決めようとしたところ、その日がアダルの月の13日と出ました。ところが、その日がハマンとその家族、および同じくユダヤ人を憎む者たちにとっての喪の日となったのです。
- 「ハーファフ」(הָפַךְ)は、詩篇30編11節(新共同訳は12節)で「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。」とあるように、主はご自身の民を、「嘆き」から「踊り」に変えてくださる方だとダビデは告白しています。その事実が如実に表されている出来事がエステル記物語です。しかもその出来事は「プリムの祭り」として、その後のユダヤ人たちの祝日として制定されたのです。
- この「プリムの祭り」は、ユダヤの暦では、唯一、飲酒が前提とされた、ばか騒ぎが許容されている日のようです。その日、シナゴーグではエステル記の朗読がなされますが、ハマンの名前が読み上げられるたびに、人々はカタカタと音のなるおもちゃで、ブーイングを鳴らす習わしのようです。
- 「嘆き」を「踊り」に変えられる神は、その歴史において、「海」を「かわいた地」に変え、川の水を血に変え、また人の心を変えられる方でもあります。エレミヤ書31章13節には「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。」とあります。
2. 人々はユダヤ人を恐れた
- 8章17節では「人々はユダヤ人を恐れるようになった」とあり、9章2節にも「民はみなユダヤ人を恐れていた」とあります。ユダヤ人たちは事態が一変したことで、「自分たちに害を加えようとする者たち」を殺しました。それはあくまで、自分たちの民族を守るためでした。その証拠に、聖書は、ユダヤ人は自分たちを迫害する者たちを滅ぼしましたが、彼らは「敵の獲物には手をかけなかった」と記しています(9:10, 15,16)。つまり、自分たちに敵対する者たちを殺したが、それは略奪のためではなく、あくまでも自己防衛的行為であったことが強調されています。そうした一連の行為の中に、人々の中にユダヤ人たちを支えている神に対する恐れが生じたのではないかと思います。
3. 人々はモルデカイを恐れた
- 9~10章には、神を恐れるモルデカイについての地位的昇進についての記述があります。
【新改訳改訂第3版】
(1) 9章3~4節
3 諸州の首長、太守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。
4 というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである。(2) 10章3節
それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。
- アハシュエロスの治世はB.C.465年までです。その後に王となったアルタシャスタ王の治世の時代に、エズラとネヘミヤが登場しています。彼から王から好意的な支援を受けることができたのも、エステルやモルデカイが前もってユダヤ人としての良いあかしを立てていたからだとも言えなくはないのです。
2013.12.6
a:7393 t:1 y:5
●2019.3.20.10:00~16:00
教会の有志による「エステル記の瞑想」を集中して行ないました。その時の資料です。エステル記は単に大逆転の物語ではなく、エデンの園からメシア王国までの神のマスタープランが隠されているのではという問題提起が有志の中から出されました。「御国の福音」の縮図がこのエステル物語に隠されているかもしれません。