夕があり、朝があった
【聖書順索引】
79. 夕があり、朝があった
【聖書箇所】 創世記1章5節 後半
【読み】
ヴァイェヒー エレヴ ヴァイェヒー ヴォーケル
【文法】
【翻訳】
【新改訳改訂3】
夕があり、朝があった。
【口語訳】
夕となり、また朝となった。
【新共同訳】
夕べがあり、朝があった。
【NIV】
And there was evening, and there was morning.
【瞑想】
「夕があり、朝があった」(創世記1:5)というヘブル人の独特なリズム感覚が見られます。「時」に対するヘブル人の時間感覚は私たちの時間感覚とは異なっています。私たちは「朝があり、夕があった」という時間感覚ですが、へブル人たちのそれは「夕があり、朝があった」という感覚です。
私たちは「朝」に起きて、自分の力で働き、努力し、成功するために頑張って生きています。しかしその結果はすべてが空しい「夕」に向かっています。「夕」とは光なき世界であり、「空の空」的世界です。そこには希望を見ることができず、究極は「死」です。多くの者が人生半ばで、自ら死を選んだとしてもおかしくない世界です。しかしヘブル人たちは「夕(夜)」の中で神と出会います。そしてその結果として「朝明け」を迎えます。その「朝」はまさに恩寵の世界です。希望の朝、解放の朝です。一日が夕暮れとともにはじまるというヘブル人の時間感覚は彼らの歴史認識においても、またものごとや生活のすべての領域においても大きな影響を与えているのです。
「夕」から「朝」へというリズムは以下のように多くの例を見ることができます。
(1) 詩篇30篇5節「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」
(2) 詩篇30篇11節「嘆きを踊りに変え、・・荒布を解いて喜びを着せ」
(3) 詩篇84篇6節「涙の谷を・・泉のわく所とし」
(4) アモス書9章11節「ダビデの倒れている仮庵を・・・昔の日のようにこれを建て直す。」
・・・・など。「夕から朝へ」というリズムは、「暗闇から光へ」「死から復活へ」の救いの型そのものなのです。
【付記】
「嘆きを踊りに変え」⇒楽譜
2013.5.4
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