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大祭司カヤパがイェシュアを尋問

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10. 午前2時~午前3時 大祭司カヤパがイェシュアを尋問

【聖書箇所】
マタイの福音書26章57~66節、マルコの福音書14章53~64節
ルカの福音書22章54節、ヨハネの福音書18章13~14、19~24節

ベレーシート

  • イェシュアが逮捕されて最初に連れて行かれたのは、大祭司アンナスの邸宅でした。アンナスは大祭司カヤパのしゅうと(つまり、アンナスのカヤパの義父)です。このことを記しているのはヨハネだけですが、この記事によって、当時の大祭司は職を退いてもその職名と権威が残っていたことを物語っています。ヨハネの福音書18章24節に「アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った」とありますから、ヨハネは大祭司アンナスとイェシュアとの個人的な会話を伝えているだけで、イェシュアの裁判や議会での尋問は記していません(非公式)。ルカも逮捕したイェシュアを大祭司の家に連れて来たことを記しているだけです。ただしルカの場合の「大祭司」はアンナスではなく、カヤパのことだろうと思います。カヤパ邸宅で行われた裁判は証拠集めのためのものであり、本来、集まるべき神殿の中でなかったとすれば非公式と言えます。
  • さて、当時のユダヤ人の政治的・司法的最高議会は「サンヘドリン」と呼ばれていました。最高議会の議員たちが集められたのは、イェシュアを死刑にするために必要な証拠を集めるためでした。「初めに死刑ありき」という判決がすでに下されていました。その判決を裏づける証拠を集めて証言させるための議会が、サンヘドリンの議長であった大祭司カヤパによって私邸に召集されたようです(議会が行なわれる場所は、本来、神殿の中でした)。そして、その裁判の様子をマルコとマタイが記していますが、その内容はほぼ同じです。

1. 最高議会「サンヘドリン」における裁判

(1) 一致しなかった証拠

【新改訳改訂第3版】マルコの福音書14章53~59節
53 彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。
54 ペテロは、遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の庭の中まで入って行った。そして、役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた。
55 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった
56 イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。
57 すると、数人が立ち上がって、イエスに対する偽証をして、次のように言った。
58 「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造ってみせる』と言うのを聞きました。」
59 しかし、この点でも証言は一致しなかった

  • 最高議会がイェシュアを裁判にかけようとしたにもかかわらず、イェシュアを死刑にするために有効な証拠が見つからなかったとしています。証拠と言っても、ここでは偽証のことで、たとえ偽証であったとしても、それが一致しなければ有効な証拠にはなりません。そこで最後に二人の者が進み出て、イェシュアの語ったことばを証言しましたが、それも細かな点で一致しなかったのです。
  • 偽証はそれだけで大きな罪ですが、イェシュアを死刑にするための偽証を最高議会が求めていたという点がこの裁判の異常性です。あり得ない裁判だったということです。

(2) イェシュアの毅然とした沈黙とメシア宣言

  • 訴えるべき何らかの証拠や多くの偽証が一致しなかったことにより、大祭司が自ら立ち上がってイェシュアに尋問しました。このときイェシュアは沈黙していました(原文は未完了形で「沈黙し続ける」の意)。イェシユアが沈黙を続けているのは、事態のすべてが神のご計画の中にあって進んでいることを確信しているからです。イェシュアの沈黙は御父への信頼から来ているのです。
  • さて、大祭司の尋問はこうでした。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」と。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書26章64節
イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」


【新改訳改訂第3版】マルコの福音書14章62節
そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

  • イェシュアは毅然と答えています。マタイはイェシュアの答えを「あなたの言うとおりです」と記しています。しかし、マルコは「わたしは、それです。」と記しています。原文は「エゴ―・エイミ」(ἐγώ εἰμί)です。もしこれだけであったなら、イェシュアが神をけがすことばを語ったということにはならなかったでしょう。なぜなら、問題なのはその後の発言だからです。

2. イェシュアこそ真の審判者として来られるという預言

  • 「今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ)、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」(マルコ)
  • 上記で語られている事柄が三つあります。

    ●第一は、イェシュアが「力ある方」であること。つまり「神」であるということです。
    ●第二は、その方が力ある方の「右の座に着く」こと。それも神に最も信頼される存在であり、神の権威が与えられる位に着く者であることを意味します。
    ●第三は、やがて「天の雲に乗って来る」方です。つまり、王なるメシア(キリスト)として、この地上に神の審判者として再び来ることを意味しています。

  • 上記のイェシュアの発言は、大祭司カヤパにとって聞きづてならない衝撃的なものでした。なぜなら、イェシュア自身が自らを神に等しい存在として、やがてさばき主としてやって来ると宣言したからです。これはまさに「神への冒涜」以外の何ものでもありませんでした。そのことを示すために、大祭司が自らの衣を引き裂くことで、このときの大祭司の怒りが尋常ではなかったことを自らパフォーマンスしたと考えられます。そして同席している最高議会の議員たちに、「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなた方は、今、神をけがすことばを聞いたのです。どう考えますか。」と訴えています。イェシュアは死刑に価する神への冒涜罪として全議会一致で決まったのです。冒涜罪は律法(レビ記24:16)によれば石打ちの刑です。しかし当時のユダヤはローマ帝国の支配下にあり、ローマ行政の許可なく死刑にすることはできませんでした。そこでローマの総督ピラトのもとに同意を求めに行く必要があったのです。
  • 「全員」(マルコ14:64)という言葉がありますが、おそらく、少なくとも「ニコデモ」や「アリマタヤのヨセフ」はこの場にはいなかったと思われます。なぜなら、「アリマタヤのヨセフ」は「議員たちの計画や行動には同意しなかった」(ルカ23:51)と聖書にあるからです。

3. この裁判には自滅の論理が隠されている

  • 聖書の中には「自滅の論理」というものがはっきりと存在しています。つまり、悪者は必ず自分の仕掛けた罠に陥ってしまうという自明の論理です。ですから、イェシュアは自らの正義を主張することなく、沈黙し続けることができたのです。ユダヤ人を滅亡させようとしたハマンは有名です。この逆転劇を神に感謝する「ブリムの祭り」があるほどです。
  • 今回の場面は、表面的にはイェシュアが裁かれているように見えますが、実際のところは、イェシュアを死刑にしようと躍起になっている最高議会(サンヘドリン)の議員たちが裁かれているのです。

2015.3.20


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