****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

天の神の律法の学者である祭司エズラの登場

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エズラ記の目次

7. 天の神の律法の学者である祭司エズラの登場

【聖書箇所】 7章1節~28節

ベレーシート

  • エズラ記7章からはじめて「エズラ」という人物が登場します。すでに総督ゼルバベルも大祭司ヨシュアもいなくなっていた時代です。エズラという人のプロフィールの紹介が記されています。

1. 「これらの出来事の後」ーヘブル的縮約法の例

  • 7章1節に「これらの出来事の後」とあります。一見、その前の6章に記されている「神殿完成と過越の祭」の出来事の後と思えますが、そうではありません。ここにはヘブル語特有の「縮約法」が採られています。つまり、事象の時間的プロセスを無視して、次の事象がつなげられると言う修辞法です。
  • 聖書は必ずしも時間的流れに沿って忠実に記されているわけではありません。ある部分がすっぽり抜け落ちている場合が多々あります。歴史の時間軸を知るためには、別の工夫が必要です。
  • 以下の図に見るように、時間軸ではエズラの登場の前に起こったユダヤ人絶滅の危機から救った「エステル物語」が入るのですが、その物語は完全にカットされています。これがヘブル的縮約法です。こうした例はメシアの来臨(初臨)と再臨、あるいは空中再臨と地上再臨の間の出来事が完全に省略してしまっています。その省略された時間軸の長さも全く無視されます。

画像の説明


2. エズラのプロフィール

(1) 年齢不詳

  • エズラがバビロンからエルサレムに帰還した年はB.C.458年です。クロス王の勅令によって第一次帰還がB.C.538年だとすれば、それから80年の月日が経っています。とすれば、エズラがエルサレムに帰還した時の年齢はどのくらいだったのでしょうか。バビロン捕囚から解放された時(B.C.539年)に、果たして、エズラはすでに誕生していたのか、否か。正確には聖書は記していません。

(2) 捕囚の結晶的人材

  • エズラはバビロン捕囚という神の矯正プログラムにおける最大の象徴的・結晶的存在です。そもそも、バビロン捕囚の目的は、神の民をして、「心を尽くして神を捜し求めさせる」ためでした(エレミヤ書29:13)。神の民はバビロンにおいて悔い改め、神と神の言葉(トーラー)を求めるようになりました。詩篇1篇にあるように、「まことに、主の教えを喜びと、昼も夜もその教え(トーラー)を口ずさむ」ようになったのです。神の民が主を尋ね求め、主を見つけられたなら、「わたしは、あなたがたの捕らわれ人を帰らせる」という約束でした。そしてそれが捕囚からの帰還で実現したと言えます。ただし、この詩篇1篇の「その人」とは「イェシュア」を啓示しています。

(3) 神のトーラーに精通した「学者」

  • しかし、神殿が完成されてからエズラが帰還するまで、58年が経っています。その間に、かつては神によって奮い立たせられた神の民も、時間の経過とともに堕落の一途をたどっていきました。神殿は神の臨在の場です。そこにいる神の民もそれにふさわしくあるためには、どうしても神のみおしえであるトーラー(律法)によって育成される必要がありました。この大事業のために、神が備えた人物こそ「エズラ」でした。
  • エズラは神の律法に精通した学者です。この頃の時代は王制もなく、また預言者も少ない時代でした。大祭司は神殿での礼拝の務めを責任者ですが、この時代には、神の律法を教える者たちを必要としていた時代です。バビロンではすでに会堂で神の律法を教える祭司であるラビたち(律法を教える教師)が存在していました。しかしその必要性は神の民の新しい時代において、かつ異邦人の支配する時代において、神の民としてのアイデンティティを持って生きるために、神のトーラーを教える指導者たちを必要としていたのです。同様に、神の言葉を地道に学ぶことは今日の日本のクリスチャンたちにとって決してないがしろにされてはならない緊急の課題なのです。
  • 「学者」と訳されたヘブル語は「ソーフェール」(סֹפֵר)で「書記」とも訳されます。「ソーフェール」は、動詞「サーファル」(סָפַר)の分詞形で名詞化されたものです。動詞の意味としては、「数える、量る、しるす、語る、告げる、話す」ですが、細かなところまで調べ、調査し、それを文書化して記録するという意味になります。またそれをもとにして、口を通して「教える」という行為、つまり教育的営みを意味します。そうした働きを通して、聖書の文書が収集され、まとめられ、記録されて、聖書へとまとめられて行きました。こうした「学者」「書記官」という肩書きが記されているのは決して多くはいません。参照⇒①「ダビデ王朝を支えた書記官」の「シェワ」(Ⅱサムエル20:25)。②「バビロンに捕囚となった将軍の有能な書記」(エレミヤ52:25)。そして、③「エズラ」(エズラ7:6, 11)のみです。

(4) 大祭司の末裔

  • 7章1~5節には、エズラが大祭司アロンの家系の者であることが記されています。
    大祭司の系譜を見ると、途中、かなりの部分が省略されています。

3. すべては神の御手によって

  • エズラ記7章6節には「主の御手が彼(エズラ)の上にあった」とあります。9節にも「神の恵みの御手が確かに彼(エズラ)の上にあった」とあります。28節にも、エズラが一人称で、「私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらを集めることができた」と語っています。
  • 主の律法を調べ、これをイスラエルの民に実行させるための教育的事業のために、神は必要な人材をも備えてくださったのでした。すべてが神の時に、神の方法でなされていくのを知ることができます。


2013.10.16


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