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契約における確固とした愛

5. 「ヘセド」חֶסֶד

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はじめに

  • 「いつくしみ深い」は、へブル語の「トーヴ」טוֹבですが、「恵み」と訳された言葉はへブル語では「ヘセド」חֶסֶדです。前者の「トーヴ」は、主は良い方であり、良いものしか与えることのできない方という意味ですが、後者の「ヘセド」は正しく理解して歌っているかというと必ずしもそうではないかもしれません。「トーヴ」が「良い」「いつくしみ深い」「すぐれた」「最良のもの」「しあわせな」「善」「美しさ」「好ましい」「すばらしさ」といった意味があるように、「ヘセド」も多くの意味を含んでいます。
  • 一言でいうならば、「ヘセド」とは「契約における確固とした愛」のことです。ここでは「ヘセド」に注目してみたいと思います。

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1. 旧約における愛を表わす四つの言葉

  • 新改訳の旧約聖書では名詞の「ヘセド」חֶסֶדというヘブル語を、特に詩篇では一貫して「恵み」と訳しています。他のところでは「誠実」とも訳されています。
    別紙(旧約における四つの愛)をご覧ください。
  • 日本語の代表的な翻訳では「ヘセド」が「恵み」、ないしは「いつくしみ(慈しみ)」と訳されます。しかしこの訳だけでは、実は、この「ヘセド」という原語が持つ意味を十分に理解できないのです。その中で、珍しくバルバロ訳が「愛」と訳しています。旧約では「愛」に関することばはいくつかあります。まず第一に今回の「ヘセド」ということば、これは契約関係を結んだ者同士の「愛」を表わします。つまり、「契約的な愛」です。契約を結ぶ前に相手を選びますが、その場合、どちらかが先に契約を結ぶ相手を選んでかかわってきます。
  • 結婚する前の愛など、どちらか一方が相手を選ぶという先取的な「選びの愛」を表わすときには「アハヴァー」אַהֲבָהという名詞を使います。そのもとになっている動詞は「アーハヴ」אָהַבで旧約では215回使われています。名詞の方は33回と少ないのです。動詞の「アーハヴ」は「人に対する神の愛」で使われる場合には「無条件的な愛」を表わします。つまり、愛する者の主体的な意思に基づく愛です。反対に「アーハヴ」が、「人の側の神に対する愛」として用いられる場合には、神に対する意志的な、自覚的な、主体的な愛を意味しますが、それが可能となるためには、新しい心、新しい霊が注がれる必要があります。特に、捕囚の民たちが神の教えを喜びとし、それを、心を尽くして尋ね求めたのは、彼らの心にこの神に対する「アーハヴ」の愛が新しく生まれたからです。ちなみに、先に述べた契約的な愛、つまり結婚関係した者同士の愛が「ヘセド」で244回使われています。しかしその動詞はわずかに3回です。
  • 旧約では「愛」を表わす二つの主要な名詞(「ヘセド」と「アハヴァー」)のほかに、「ヘーン」חֵן「へーフェツ」があります。前者の「ヘーン」は、特別な契約関係にはない相手に対する愛や好意を含んだ愛です(名詞は69回)。たとえば、「ヘーン」の用例として、創世記6章8節 「ノアは主の前に恵みを得た」(口語訳) 「ノアは、主の心にかなっていた」(新改訳)、「ノアは主の好意を得た」(新共同訳)-とあるように、「ヘーン」は無差別な恵みであり、ヘセドはどこまでも契約の範囲内においてです。後者の「ヘーフェツ」はどちらかというと、名詞よりも動詞の方が重要です。感情的な面の強い語彙で、自分にとって喜びの対象、お気に入り、好みとするといった愛です。
  • 有名な賛美歌で「アメイジング・グレイス」があります。「驚くばかりの恵み」と訳されていますが、その「グレイス」graceと英語に訳されたギリシア語は「カリス」χαρίςです。このことばはへブル語の「ヘセド」と「ヘーン」の意味をあわせもったことばです。つまり、ギリシア語の「カリス」χαρίςは、契約関係にある者も契約関係にない者にも注がれる神の愛אָהַבを意味します。
  • ギリシャ語の「愛」を表わす「アガペー」αγαπηということばは、へブル語の「ヘセド」と「アハヴァー」の意味を併せ持ったことばです。また、ギリシア語の友情の愛を表わす「フィリア」φίλίαということばは、ヘブル語の「アハヴァー」אַהֲבָהと「へーフェツ」חֵפֶץを併せ持った意味なのです。そのように私自身は今のところ理解しています。

2. 契約の愛 「ヘセド」

  • さて、今回はその中でも「ヘセド」ということばに注目したいと思います。日本語では、先ほどお話ししたように、新改訳の「恵み」、新共同訳の「慈しみ」という訳語だけでは、実は、この言葉がもっている真の意味をつかむことができないのです。ちなみに、英語ではひとつの翻訳の中でも、「ヘセド」ということばがいろいろな言葉で訳されていのです。

    たとえば、NIV(New International Version)訳では、ヘセドという言葉が、
    ①love(129)、②kindness(41)、③unfailing love(32)、④great love(6)、⑤mercy(6) 

    などと訳されています。他の英語訳をも調べてみると、「確固たる不変の愛」を意味する steadfast love;、covenant love といった訳もあります。チャートにあるように、

    constant love
    steadfast love
    unfailing love
    loving-kindness
    の意味を持つことばだと思えばよいと思います。

    unfailing loveとは「尽きることのない、絶えることのない、信頼に足る、裏切ることのない、確実な愛」という意味です。それを、新改訳では「恵み」と訳し、新共同訳は「慈しみ」と訳しているのです。

  • 私たちが「主に感謝せよ。まことに主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで」と賛美するとき、その「恵み」ということばの意味を正しく理解している必要があるということです。漠然とした感じではなく、あるいはなんの注意を払うこともなく歌ってはなりません。そのことばが意味するところを正しく理解して歌わなければならないのです。

3. ヨナタンとダビデにみる「契約的な愛」

  • ヘセドが契約と関係して用いられている例として、血を分けた兄弟の関係を結んだ「ヨナタンとダビデ」。この二人が結んだ契約は神の「ヘセド」を表わす型となっています。
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【新改訳改訂第3版】Ⅰサムエル記20章14~17節
14 もし、私が生きながらえておれば、【主】の恵み(ヘセド アドナイ)を私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、15 あなたの恵み(ハスデハー)をとこしえに私の家から断たないでください。【主】がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」
16 こうしてヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「【主】がダビデの敵に血の責めを問われるように。」
17 ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。
(原文ではこの17節には、名詞の「アハヴァー」が二つと、動詞の「アーハヴ」が一つ使われていますが、訳文ではそれがわかりません)

  • Ⅱサムエル9:3にも「神の恵み(ヘセド・エローヒーム)」という句が見られますが、これもまたダビデとヨナタンとの契約に関するものです。「神のヘセド」という句は、決して消え去ることのできないほど強力かつ真実な、契約のヘセドを意味します。事実上、この契約はダビデによってなされた一つの約束であり、彼が王となるとき、「王の一族のすべて」を滅ぼすという正規の慣習に従ってヨナタンの子らを絶滅することはしないというものでした。後に、ダビデは実際サウルの子らを殺害しましたが、それは他の訴えによるものでした(Ⅱサムエル21:6)。ダビデはヨナタンの子メフィボシェテを助命しました。それはヨナタンと彼との契約のゆえでした。Ⅱサムエル21:7、9:1~13参照。
  • ヨナタンとダビデの関係は夫婦関係と同じです。結婚した者同士の愛に通じるのです。結婚しても、離婚する人も増えています。ですから、人と人、家と家、ヨナタンとダビデの例が示すようなかかわりは、今日、きわめて希薄です。いつ壊れるともしれない弱さとはかなさをもっているのです。

4. 契約用語としての「ヘセド」のへブル的発展

  • さて、ヘセドという語の語源について、ある学者によれば、「鋭さ、熱心さ」だと言っています。それが契約の概念と関係して用いられているということです。しかしそれもすべては契約の範囲内においてです。
  • ヘブル語の「ヘセド」の本来の用法は、「契約の両当事者が互いに他方に対して守るべき忠誠と誠実の態度をあらわすこと」にあります。愛と忠誠(誠実)という二つの本質的な要素を含んでいる「ヘセド」が、神について用いられるとき、それは「確かな愛」「確固とした愛」「ゆるぎない愛」を意味しています。
  • したがって、「ヘセド」を単に「恵み」とか「いつくしみ」と訳すだけでは、この言葉の持つ意味は伝わってきません。つまり、このヘセドということばが持っている「神の確かな愛の持つ力、その堅固さ、執拗さ、堅い固着」を伝えるには弱いのです。「万軍の主の熱心」ということばがありますが、その「熱心さ」はヘセドの愛の中にもともと組み込まれているようです。
  • ここで、エレミヤが語った神のヘセドについて、「誠実な愛」について見てみたいと思います。これはエレミヤが「新しい契約」について預言した箇所、31章にあります。新しい契約とは、神の律法がこれまでは石の板に書き記されていましたが、新しい契約では、それが人の心に記されます。石の板に書き記された神の律法は、外から人に要求しますが、それを実現するようには働かないのです。そこで神は石の板ではなく人の心に書き記すために、贖いの御計画を立てられました。イエス・キリストによる贖いによる救いです。これによって、神の新しい霊が注がれて、神の律法が人の心に書き記されるのです。したがってだれもが神を知ることができるようになるのです。そのようにして神は、新しい霊を与え、新しい心を造り、新しい契約を結ぼうとされました。「新しい」という言葉がつく創造のみわざは神にのみなせることですが、その根底にある動機は、神が神の民イスラエルを選んだ愛(アハヴァー)に基づいているのです。
  • ここでエレミヤ書31章1~3節を見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書31章1~3節
1 「その時、──【主】の御告げ──わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」
2 【主】はこう仰せられる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵み(חֵן)を得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」
3【主】は遠くから、私に現れた。「永遠の愛(אַהֲבָה)をもって、わたしはあなたを愛した(אָהַב)。それゆえ、わたしはあなたに、誠実(חֶסֶד)を尽くし続けた。

  • ここには愛に関する二つの名詞と一つの動詞が使われています。「誠実」と訳された「ヘセド」(חֶסֶד)、その土台となる選びの愛を意味する名詞の「アハヴァー」(אַהֲבָה)と動詞の「アーハヴ」(אָהַב)。さらに、神の一方的な好意を意味する2節の「恵み」と訳された「ヘーン」(חֵן)があります。リビングバイブルはこの「ヘーン」を意識して次のように訳しています。

31:2 昔わたしが、エジプトから逃げて来たイスラエル人に、荒野であわれみをかけ、休息を与えた時のように、彼らをいたわり、めんどうを見る。

つまり、神の一方的な親切と好意が語られています。神の民をして「主よ。なにゆえそこまで親切にしてくださるのですか。」と言わせるほどのことを神はなそうしておられるのです。それに対して、人間の側の神との契約の愛に対する誠実さ、真実さはまことにはかないものです。ホセア書6章4 節にはこう記されています。

ホセア書6章4節
「エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実(ヘセド)は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。(イスラエルでは雲は太陽が昇るとすぐに消えてしまう)」

  • ここでホセアは、人間の誠実とか真実というものは、今日はここにあっても明日には消えてしまうはかないものだと言っているのです。しかし驚くべきことに、神の「ヘセド」としてのその真の意義は、それが永遠であり、確固たるものであり、揺るがないものであるということです。たとい人間のすべてが野の花や露のようであっても、神は常に変わることのない信頼の源、ゆるぎない信頼の保障なのです。
  • このように、ヘセドという語彙には常に「力、堅固さ、着実さ」といった意味があります。また、かかわりにおいて「熱心な、激しい欲求」を意味するルーツがあることの結果と考えられます。イスラエルの頑固な不従順にもかかわらず、神がイスラエルを愛し続けることにおいて、異常なほどに執拗だということは、私たちが旧約で「恵み」とか「慈しみ」いうことばが出てくるときには、身を正して受けとめるべきキーワードなのです。キリストにあってイスラエルに接ぎ木された私たちのひとりひとりが、この神をもっと知り、この神とのかかわりを「もっともっと」大切にしていきたいと思います。

2012.6.27


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