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家族における家長(父)の責任

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

23. 家族における家長(父)の責任

【聖書箇所】11章29節

ベレーシート

  • 箴言には多岐にわたる領域の知恵が記されています。その中から「主にある家庭教育」の知恵を抽出したいと考えています。前回の10章では子の存在が親の喜びともなれば、悲しみともなり得ることを学びました。子どもは神からの賜物であり、その賜物の管理者として親も神から選ばれているのです。この働きのためには、この世の知恵によってではなく、神の知恵によってなされなければなりません。
  • 11章で「主にある家庭教育」に該当する箇所は29節です。

【新改訳改訂第3版】箴言 11章29節
自分の家族を煩わせる者は風を相続し、
愚か者は心に知恵のある者のしもべとなる。


1. 「自分の家族を煩わせる者」

  • 29節で「自分の家族を煩わせる者」とは家長、つまり父親のことです。箴言における家庭は常に父親の位置から語られています。聖書における家庭とは、神の永遠のヴィジョンである「家」を建て上げることです。そのことを私たち人間に教えるために、神は結婚と家族という家庭を通して、神の家のヴィジョンの写しを啓示しています。その「家庭」においてのリーダーは夫であり、父親です。またそのサポート役が妻であり、母親です。もし家庭の長である父親が家族にとって悩みの種となれば、その家族全体が大きな影響を受けることは当然です。
  • 「煩わせる者」と訳された語彙は「困らす」「悩ます」とも訳される動詞「アーハル」(עָכַר)の分詞形です。この動詞の初出箇所は創世記34章にあります。シェケムの町でヤコブの娘のディナが恥辱を受けたことで、兄弟のシメオンとレビがその町のすべての男子をだまし割礼を受けさせて、殺し、ディナをその町から連れ出した事件でした。このことは父ヤコブを大いに悩ませ、困らせました。つまり、子のしたことが親を困らせた例です。ヤコブはこのとき「私も私の家族も根絶やしにされるだろう」と考えたほどです。
  • しかし箴言11章29節は子がしたことではなく、父が家族を煩わし、悩ませ、困らせることがあり得るというものです。その影響は実に深刻です。29節の後半では、そうした「自分の家族を煩わせる者」のことを「愚か者」と言い換えています。なぜなら、父親自身が親としての権威を自ら失墜させることは、自分の家族に「風」(原文では「ルーアッハ」רוּחַ)を、つまり「空しさ」を受け継がせることになるからです。「空しさ」とは家族を支えている土台を壊し、その上にもたらされるすべての希望(祝福)を失わせることを意味します。
  • 聖書においては、王が神の統治における代理者であるのと同様に、父も家族における神の代理者です。王の立場にいる者が国を大混乱に陥れた例が歴史の中に多くあったように、家長の立場にいる者が家を大混乱に陥れることもあり得るのです。主を恐れて、神の知恵に聞き従うことなしには、29節で警告されていることが起こり得るのです。
  • ただ単に、主を信じた者同士が結婚すれば自動的に良い家を建て上げるということにはなりません。家のリーダーシップを取る夫、あるいは父親が主の知恵を持たなければ建て上げることはできないのです。その意味で家庭を建て上げることは大事業であるとともに、難事業だということです。使徒パウロが愛弟子のテモテに宛てた手紙の中に、教会における「監督」の職につく者の条件としての資質を挙げていますが、その中の一つが、「ひとりの妻の夫であり、・・自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人」だとしています(Ⅰテモテ3:1~10)。そして「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。」とも記しています。「家庭を治める」ことと、教会におけるリーダーとなることは同義なのです。なぜなら、父親は家の柱であり、土台そのものだからです。
  • 父親目線から語られている「家庭の祝福」についての聖書の教えは、以下の通りです。

    (1) 【新改訳改訂第3版】詩篇127篇3~5節
    3 見よ。子どもたちは【主】の賜物、胎の実は報酬である。
    4 若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
    5 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。
    彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。


    (2) 【新改訳改訂第3版】詩篇128篇3~4節
    3 あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。
    4 見よ。【主】を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。


    (3) 【新改訳改訂第3版】詩篇144篇12節

    12 私たちの息子らが、若いときに、よく育った若木のようになりますように。私たちの娘らが、宮殿の建物にふさわしく刻まれた隅の柱のようになりますように。


2. 三世代にわたる信仰継承の祝福

  • 箴言17章6節には、三世代にわたる主の祝福が以下のように記されています。

【新改訳改訂第3版】箴言 17章6節
孫たちは老人の冠、子らの光栄は彼らの父である。

  • 子どもが与えられることは、イスラエルの人々にとっては神の祝福のしるしと考えられていました。また、父である男性の存在は、信仰共同体においても、その存在の重みと影響力を与える者とみなされていたのです。
  • 「孫たち」は「老人の冠」とあります。「孫たち」は、原文では「息子たちの息子たち」(「ベネー・ヴァーニーム」בְּנֵי בָנִים)です。老人とは「孫」から見れば「祖父」のことです。「孫」は「祖父」にとって「冠」であり、「孫」は「父」にとっての光栄なのです。ここでは三世代にわたる信仰の継承の祝福が語られています。アブラハムも三代目のヤコブとともに生きていましたが、ヨブに至っては四世代の祝福を見た人です(ヨブ42:16~17)。これが信仰の継承を果たした家族の模範的な型と言えます。信仰を継承することによって、各世代の豊かさを引き継ぐことになるのです。その責任は概して各世代の家長(父親)にあるのです。この大事業に取り組もうとする者を、神は殊の外祝福して下さるに違いありません。なぜなら、それは神のヴィジョンとみこころに沿っているからです。

2015.12.18


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