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幕屋(聖所)建造の目的


1. 幕屋(聖所)建造の目的

【聖書箇所】出エジプト記25章8節

ベレーシート

●エデンの園において、神である主は人と交わるために園を歩き回られていました。アダムとエバが罪を犯した後、主の御顔を避けて園の木の間に身を隠しますが、神である主は人に呼びかけて仰せられました。「あなたは、どこにいるのか。」と。神である主はどこまでも人を探し求められる方です。そして共に住むことを願っておられるのです。この方がご自分の民をエジプトから救い出したのは、彼らと共に住むためでした。そのために、主はモーセに神の御住まいである「聖所」、つまり「幕屋」を建造することを命じられたのです。

幕屋の全体像
(この配置図は正確です。特に、東側の掛け幕と柱の数に注目のこと。)

1. 幕屋建造の目的

וְעָשׂוּ לִי מִקְדָּשׁ וְשָׁכַנְתִּי בְּתֹוכָם׃
彼らの中に  そうすればわたしは住む   聖所を  わたしのために 彼らは造れ 

【新改訳2017】出エジプト記 25章8 節
彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
【新改訳改訂第3版】
彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。
【新共同訳】
わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。
【口語訳】
また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。
【岩波訳】
こうして彼らに、わたしのために聖所を作らせなさい。そうすれば、わたしは彼らの只中に宿るであろう。
【回復訳】
彼らにわたしのために聖なる所を造らせなさい。それは、わたしが彼らの中に住むためである。


聖所の建造の目的は、神ご自身が神の民のただ中に住みたいと先取的に願われたことによるものです。この「内住」は聖書全体においてきわめて重要な思想です。天地創造の前からあらかじめ神がもっておられたご計画は、まさに神が人とともに住むということでした。これが神の永遠のヴィジョンであり、神の目的です。神の贖いはまさにこの目的のために備えられたものです。「贖い」と「内住」は、「イェシュア」(יְשׁוּעַ)と「インマヌエル」(עִמָּנוּאֵל)というメシアの二つの名前にも啓示されています。従って、幕屋はメシア(キリスト)の啓示そのものです。神と人とがともに住むという「新しいエルサレム」の秘密は、モーセの幕屋の中にあるのです。

2. 「幕屋」の名称

●モーセ五書では、神の御住まいである「幕屋」(「ミシュカン」מִשְׁכַּן)を表わす四つの名称が用いられています。

(1) 「天幕」(「オーヘル」אֹהֶל)
(2) 「会見の天幕」(「オーヘル・モーエード」אֹהֶל מוֹעֵד)
(3) 「あかしの幕屋」(「ミシュカン・ハーエードゥット」מִשְׁכַּן הָעֵדֻת)
(4) 「聖所」(「ミクダーシュ」מִקְדָשׁ,連語形はמִקְדָּשׁ)

※他には、「仮庵」を意味する「スッカー」(סֻכָּה)。そして「主の家」の「ベート・アドナイ」(בֵּית יהוה)があります。特に「主の家」は約束の地のシロにおける主の神殿(「ヘーハル・アドナイ」הֵיכַל יהוה )を意味していました(出23:19, 34:26, Ⅰサム1:9, 3:3)。

●出エジプト記25章9節では「幕屋」が冠詞付の「ハッミシュカーン」(הַמִּשְׁכָּן)で使われていますが、8節では、「聖所」(「ミクダーシュ」מִקְדָשׁ)としています。「ミクダーシュ」は「聖なる場所」「聖別された場所」という意味で、旧約で75回使われています。初出箇所は出エジプト記15章17節。また「ミクダーシュ」はエゼキエル書の特愛用語(31回)でもあります。

●ちなみに、「幕屋」を「天幕」(「オーヘル」אֹהֶל)という言い方をすることがあります。「天幕」とは移動式の住まいを意味します。出エジプト記40章1節では「会見の天幕である幕屋」と表現しています。「会見の天幕」は「オーヘル・モーエード」(אֹהֶל מוֹעֵד)で、これを新共同訳は「臨在の幕屋」と訳しています。「会見の天幕」という表現はあっても、「会見の幕屋」という表現はありません。「モーエード」は動詞「ヤーアド」(יָעַד)で「指定された定まった場所で会う」という意味です。つまり、礼拝の場所としての公に定められた場所なのです。ダルグムではこの神の特別な臨在を「シェキーナー」という語で表現して(解釈して)います。

●「あかしの幕屋」(「ミシュカン・ハーエードゥット」מִשְׁכַּן הָעֵדֻת)の「あかし」は、契約の箱の中に収められている二枚の「石の板」(出31:18)のことを言います。したがって、至聖所を指すこともあります。聖書で「あかしの幕屋」は6回使われています(出38:21, 民1:50, 53, 10:11, 使徒7:44, 黙15:5)。

●新約では神殿の内部である「聖所、至聖所」を「ナオス」(ναός)という語彙で表わします。イェシュアはこの用語を用いてイェシュアご自身のからだこそ神の聖所(ナオス)だと言われました(ヨハネ2:19, 21)。ギリシア語では神殿の建物のことを「ヒエロン」(ἱερόν)という語彙で表わします。

●「ミクダーシュ」の動詞「カーダシュ」(קָדַשׁ)は「聖別する」「聖なるものとなる」で、旧約では137回。その初出箇所は創世記2章3節。名詞の「コーデシュ」(קֹדֶשׁ)は「聖」。初出箇所は出エジプト記3章5節で、「(あなたの立っている場所は)聖なる地(である)」(「アドマット・コーデシュ」אַדְמַת־קֹדֶשׁ)とあります。「コーデシュ」(קֹדֶשׁ)だけでも「聖所」と訳されます。

●「彼らのうちに、彼らの中に、彼らの只中に」(「ベトーハーム」בְּתוֹכָם)は、「真ん中、間、内側、中心、中央」を意味する男性名詞「ターヴェフ」(תָּוֶךְ)に前置詞の「べ」(בְּ)と3人称複数の語尾(־ָם)がついたもので、「彼らのうちに」と訳されます。

●「わたしは住む」は「シャーハンティ」(שָׁכַנְתּי)。「シャーハン」(שָׁכַן)は「住む、とどまる、宿る、幕屋を張る、宿営する」(旧約では132回)という意味で、それに1人称接尾辞がついています。

【新改訳改訂第3版】民数記 9章18節
【主】の命令によって、イスラエル人は旅立ち、【主】の命令によって
宿営した(「ハーナー」חָנָה)。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた(「シャーハン」שָׁכַן)。

●この箇所には「宿営する」という意味の二つの動詞が使われています。「ハーナー」(חָנָה)は、本来、日が傾くことで、野営するという意味の「宿営」ですが、「シャーハン」(שָׁכַן)は「幕屋を張る」という意味での宿営です。前者は単なる「宿営」ですが、後者は神の導きにおける「宿営」なのです。ですから、日が昇ったとしても、主の導きがなければ、旅立つことはできませんでした。「シャーハン」は神と人との永遠の住まいにおける休息の意味を含んでいます。


3. 関連する他の聖句

●出エジプト記25章8節に似た聖書箇所を拾ってみたいと思います。

(1) 【新改訳改訂第3版】出エジプト記29章45~46節
45 わたしはイスラエル人の間に住み(「シャーハン」שָׁכַן)、彼らの神となろう。
46 彼らは、わたしが彼らの神、【主】であり、彼らの間に住む(「シャーハン」שָׁכַן)ために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、【主】である。

(2) 【新改訳改訂第3版】レビ記26章11~12節
11 わたしはあなたがたの間にわたしの住まい(「ミシュカーン」מִשְכָּן)を建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。
12 わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。

(3)【 新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書1章14節a
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた(「シャーハン」שָׁכַן)。

וְהַדָּבָר לָבַשׁ בָּשָׂר וַיִּשְׁכֹּן בְּתוֹכֵנוּ
(ことばは肉を着て(まとい)、私たちのただ中に住まわれた)

(4) 【新改訳改訂第3版】黙示録 7章15節
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋(「ミシュカーン」מִשְכָּן)を張られるのです。

(5)【新改訳改訂第3版】黙示録 21章3節
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
「見よ。神の幕屋(「ミシュカーン」מִשְכָּן)が人とともにある。神は彼らとともに住み(「シャーハン」שָׁכַן)、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、・・・」


●ヨハネの福音書1章14節の「住まわれた」と訳されたギリシア語は「スケーノー」(σκηνόω)のアオリストです。この語彙は新約では黙示録に4回使われています(7:15/12:12/13:6/21:3)。また、この「住まわれた」は「仮庵となられた」ということを意味します。ユダヤの「仮庵の祭り」は、イスラエルの民が出エジプト後、40年間荒野でテント暮らしをしていたことを記念する祭りです。それは、主の恵みなしには生きていくことはできないということを覚えるための祭りですが、さらに仮庵はイェシュアが地上に来られた事を象徴する祭りでもあります。

●「スケーノー」(σκηνόω)の名詞は「スケーネー」(σκηνή)で、「天幕、幕屋、至聖所、神の住む天の聖所」を意味します。同じく名詞の「スケーノーマ」(σκήνωμα)は、神の住まいとしての幕屋(使徒7:46)と魂の住む肉体としての幕屋(Ⅱペテロ1:13, 14)があります。同じく名詞の「スケーノス」(σκῆνος)も、人の魂の住む天幕、すなわち身体の意味で使われています(Ⅱコリント5:1, 4)。人の地上での幕屋(肉体)は、たかだか70~90年間住むだけのものですが、天からの住まいは永遠の家です。

●イェシュアの初臨は、神の御子がこの地上に人と共に住むために、仮庵となった出来事でした。しかしイェシュアの再臨におけるメシア王国は、まさに神の幕屋(仮庵)が、千年の期間、地上に置かれるようなものです。その時、全世界の人々が仮庵の祭りを祝うためにエルサレムに代表を送るとあります(ゼカリヤ14:16)。このように、「仮庵の祭り」は神と人が共に住むことを記念すると同時に、それを待望する時でもあるのです。「仮庵の祭り」はメシアの「初臨・再臨」と密接な関係を持っているのです。したがって、ネヘミヤがヨシュアの時代から忘れ去られていたこの仮庵の祭りを復活させたように、イェシュアの誕生を12月のクリスマスにではなく、仮庵の祭りにおいて祝うことが、神のご計画においても、ヘブル的視点を回復するためにも、最も筋の通る話ではないでしょうか。

2016.1.19


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