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幸いなのは、平和をつくる人々

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13. 幸いなのは、平和をつくる人々

ベレーシート

  • 「幸いな人」の第七は「平和をつくる人々」(5:9)です。原文を見てみましょう。

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  • この原文をヘブル語版で見てみましょう。

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1. 「平和をつくる」とは

  • 「平和をつくる者たち」と訳された「ホイ・エイレーノポイオイ」(οἱ εἰρηνοποιοί)はこの箇所にしか使われていない語彙です。英語では「ピース・メーカーズ」(peace makers)で、平和を愛し、平和をつくり出す人々です。これをヘブル語にすると「ロードゥフェー・シャローム」(רֹדְפֵי שָׁלוֹם)となります。「ロードゥフェー」(רֹדְפֵי)は、動詞「ラーダフ」(רָדַף)の強意形の分詞複数形です。「ラーダフ」(רָדַף)の本来の意味は「追う、迫害する」という意味ですが、強意形ピエル態では「追い求める」という意味になります。したがってヘブル的ニュアンスとしては「平和を追い求める者たち」という意味になります。これを神との関係に置き換えるなら、「義を追い求める者たち」となりますが、人と人とのかかわりにおいては「平和をつくる者たち」、あるいは「平和を築く者たち」(宮平訳)ともと表現されます。
  • 神の御子イェシュアの十字架の血潮によって神との和解がなされました。この土台に基づいて人と人の和解が成立します。ですから、人との平和を追い求め続けることは神のみこころであり、やがて神から「神の子ども」と呼ばれるようになるのです。なぜなら、天の御国には、平和を追い求め、平和をつくろうとして来た者たちがいるところだからです。
  • 天の御国であるメシア王国の特徴の一つは「普遍的な平和」です。イザヤ書11章6~16節 メシア的王国における普遍的平和が描かれています。

(1) 人間と自然界における平和 (6~9節)
(2) イスラエルと諸国民との平和 (10節)
(3) エフライムとユダの平和―全イスラエルの回復と平和―(11~16節)

  • キリストの地上再臨によって、「普遍的平和」がすべての領域において実現します。神と人のかかわりにおいて、また人と人とのかかわりにおいて、また人間と動物とのかかわりにおいて、また神の民と異邦人とのかかわりにおいて、また、神の民であるエフライム(北イスラエル)と南ユダとのかかわりにおいて、天と地のすべての領域において、神のシャーロームが回復します。そのことを指して「普遍的平和」ということばを使っています。神のご計画における「主の家」では、一切の争いが駆逐され、普遍的平和が地上に実現されるのです。
  • そのご計画が実現されるまで、キリストの平和を受けた者が、自分の周囲にいる人々のみならず、自然界や世界におけるさまざまなところにおいて「平和をつくる」ことが求められています。そのことに参与する者たちのことを、ここでは「平和をつくる者たち」「平和を築く者たち」「平和を追い求める者たち」と言われています。このような者たちは「心がきよい者」でなければできないことであり、また「あわれみ深い者」でなければできないことです。

2. 「神の子どもと呼ばれるようになる」とは

  • これは単なる立場の問題ではありません。神の子どもとされることは、イェシュアを信じることによって、すでにその立場に置かれています。しかしここでの「神の子どもと呼ばれるようになる」とは、立場的な意味においてではなく、実質的な意味において神の子どもと呼ばれるのです。つまり「神の子ども」と呼ばれるにふさわしい完全な者となることを意味しています。ただし、メシア王国においては平和をつくることはなくなります。なぜなら、新しいからだを与えられた者たちは、神の平和を実現できる者に変えられてしまうからです。

2017.3.11


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