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幸いなのは、義のために迫害されている人々

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14. 幸いなのは、義のために迫害されている人々

ベレーシート

  • 「幸いな人」の第八は「義のために迫害されている人々」(5:10)です。原文を見てみましょう。

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  • この原文をヘブル語版で見てみましょう。

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1. 「義のために迫害されてきた者」とは

  • 義のために苦しむのは「迫害」です。「迫害されている者たち」(「デディオーグメノイ」δεδιωγμένοι)は、完了形受動態分詞で、正確には「迫害されてきた者たち」という意味で、すでに迫害を受け、それに耐えてきた者たちのことを意識して語られています。
  • 「義」(「ディカイオスネー」δικαιοσύνη)は、すでに6節の「義に飢え渇く者たち」で「義」という語彙が登場しています。「義」とは神との正しい関係を表わす概念ですが、その関係に「飢え渇く」という積極的な姿勢を持つ者たちこそ、御国にいる者たちなのです。「義」は神が人のために備えてくれた「救い」とも言える重要な語彙です。聖書における「義」は、御子イェシュアを信じる信仰によって与えられます。私たちの行いによる義ではありません。信仰による「義」(あるいは「救い」)です。信仰が神の賜物であるならば、義も救いも神の賜物なのです。
  • 第六の至福として、「平和をつくる者」とは「平和を追い求める者」であることを学びましたが、第八の至福である「義のために迫害されてきた者」とは、「義を追い求めている者」とも解釈できます(ダヴィッド・ビヴィン著『イエスはヘブライ語を話したか』117~119頁、ミルトス発行)。というのは、ヘブル語の「ラーダフ」(רָדַף)という動詞には「迫害される」という意味と「追い求める」という意味を持っているからです。その意味で解釈するなら、「義を追い求める者は幸いです。なぜなら天の御国は彼らのような者たちによって成り立っているからです。」となります。
  • これまで、ギリシア語で書かれたマタイの福音書がオリジナルであると信じられてきましたが、ヘブル語で書かれたマタイの福音書がオリジナルで、その翻訳をだれかがマタイの福音書として訳されたものだという見解があります。事実、古代のキリスト教会の教父たちがそのことを伝えているのです。脚注
    それゆえ、ギリシア語をヘブル語に戻してみる時、ギリシア語では見えなかったことが見えてくるのです。これはこれからのキリスト教会における新しい課題なのです。そのためには、ギリシア語やヘブル語に対する深い知識が求められることは言うまでもありません。

2. 「天の御国はその人のもの」

  • 第一の至福である「霊において貧しい者たち」も「天の御国はその人のもの」とあります。これは「天の御国は霊において貧しい者たちによって成り立つ」のだと理解しました。同時に、第八の至福でも「天の御国は義を追い求める者たちによって成り立つ」と言えるのです。

3. イェシュアのために迫害されるあなたがたは幸い

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書5章11~12節
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

  • 11~12節はこれまでのような詩文体から散文体に変化しています。八つのパターンとは異なる、附随した事柄と考えることができます。つまり、最後の第八の至福に関連して語られた事柄という理解です。
  • 11~12節は「わたし」という人称が、「あなたがた」という人称に対して語っています。ここでの「わたし」とはイェシュアのことであり、「あなたがた」とはイェシュアの弟子たちのことであることは明白です。
  • テーマとしては第八の至福と関連していますが、イェシュアのために受ける迫害、ありもしないことで悪口が浴びせかけられることは当然予想されることとして語られています。しかし「喜びなさい。喜び踊りなさい。なぜなら、天ではあなたがたの報いは大きいから」と、イェシュアは弟子たちを励ましています。このような励ましは、主の弟子たちによって書かれた手紙(パウロ書簡、ペテロ書簡)の中に多く見ることができます。
  • 事実、「使徒の働き」ではイェシュアのために受けた信仰の試練が綴られています。その試練に対する心の備えは、主イェシュアに対する「終わりの日」における確かな約束への信仰です。それゆえに、イェシュア、および初代教会において使徒たちによって語られた「御国の福音」を正しく理解することが重要です。なぜなら、それに対する理解と悟りが勝利をもたらすからです。

【新改訳改訂第3版】Ⅰペテロの手紙4章12~14節
12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。
14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。



脚注

マタイの福音書がヘブル語で書かれたことについての証言について

以下は、ダヴィッド・ビヴィン著「イエスはヘブライ語を話したか」(河合一充訳、ミルトス社、38~40頁)からの引用。

①小アジアのヒエアポリスの主教(紀元2世紀中葉)であったパピアス
「マタイは主の言葉をヘブライ語で記した。そして他の者たちがそれを、各々できる限り最善に翻訳をした。」(エウセビウス、教会史Ⅲ39・16)


②フランスのリヨンの主教であったイレニウス(120~202年)
「マタイは確かに彼の福音書の書き物をヘブライ人のあいだで、彼らの言葉で著したのである。」(エウセビウス、教会史Ⅴ8・2)


オリゲネス
「最初の(福音書)は、ヘフライ語で作られたが、マタイによって書かれた・・ユダヤ教から信仰に入った者たちのために・・」(エウセビウス、教会史Ⅵ25:4)


④カイザリヤの主教であったエスセビウス(325年頃)
「マタイは最初ヘブライ人に宣教したが、人々のところに行こうとしたとき、自分の母国語でもって自身の福音書を書いた。」(エウセビウス、教会史Ⅲ24:6)


⑤サラミスの主教てあったエピファニウス
「彼ら(ナザレ派というユダヤ・クリスチャン)はヘブライ語でマタイ福音書全体を持っている。彼らはそれを注意深く調べ、ヘブライ文字で、最初に綴られたままに保存している。」(異端論破書、29・9・4)
さらに、「彼らも(エヴィオン派)マタイの福音書を認めており、・・それを『ヘブライ人による(福音書)』と呼ぶ。それは正しい言い方である。なぜなら、新約聖書の作者のうちでマタイのみがヘブライ語で、ヘブライ文字で福音書を著したからである。」(異端論破書、30・3・7)


⑥生涯の後半31年間をベツレヘムで過ごし、ヘブライ語からラテン語訳を完成させたヒエロニムス
「マタイはユダヤにおいて、キリストの福音書をヘブライ文字と言葉で作った最初の人だ。後にそれをギリシア語に翻訳したのは誰かは、確実にには知られていない。さらに言えば、ヘブライ語の本分そのものはカイザリヤの図書館に保存されている。その図書館は殉教者パンフィラスが大変な労力をもって収集したものだ。」


2017.3.11


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