****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

序 「イエスはキリストです」

序 「イエスはキリストです」


べレーシート

  • 私たちがしばしば使っている「イエス・キリスト」ということばは、「イエスはキリストです」という初代教会の信仰告白です。その頭に「主」ということばをつけて、「主イエス・キリスト」という言い方もします。「主」はローマの皇帝に使われる称号「キュリオス」(κύριος)で、ヘブル語の「アドナイ」(יהוה)を意味します。「イエスはキリストである」と告白する者が、「キリスト者」と呼ばれたのです。

イエス・キリスト
ヘブル語では「イェシュア・ハマシーアッハ」、ギリシャ語では「イエスース・クリストス」、英語では「ジーザス・クライスト」(Jesus Christ)と言います。「イエス・キリスト」というのは、イエスが名前(固有名詞)で、キリストは苗字ということではありません。「キリスト」は職名です。ちなみに、「ヨセフの子イエス」とあれば、苗字に相当するのは「ヨセフの子」の部分です

  • 「キリスト」とは、神の働きのために特別な力と権威を授けるため「油注がれた者」を意味します。旧約では、「王」「大祭司」「預言者」にのみ任職の油が注がれました。したがって、「イエス・キリスト」とは、イエスが神からの任職の油を注がれた「王」であり、「大祭司」であり、「預言者」という告白的表現なのです。初代教会においては、「イエスがキリストであった」ということが「良き知らせ」(福音)でした。この福音が人々を救うので、「救い主」とも言われているのです。「救い」は「福音」からもたらされるのです。

1. 「イエスはキリストである」ということが初代教会にとっての「福音」であった

  • 「イエスは救い主」ですという言い方は決して間違いではありませんが、「救い主」という言い方は、「・・から救ってくださる主」ということが背景にあり、当然、それは「罪からの救い」ということに焦点が当てられます。しかしそれはイエスが「キリスト」であるのでなければ、成り立たないことなのです。しかも「キリスト」という表現は、旧約のイスラエルの物語が土台となっています。その土台がはぎ取られるとき、「イエスは救い主です」ということが前面に押し出されますが、初代教会の信仰の告白は「イエスはキリスト」であったのです。使徒パウロも伝道旅行において聖書(旧約)を拠り所として、イエスが「メシア」(キリスト)であったことを心血を注いで論証したのです。
  • 共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の前半は、「イエスとはだれか」ということが扱われています。

    【新改訳改訂第3版】マタイの福音書16章13~17節
    13 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
    14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
    15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
    16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。
    17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。


    並行記事として、
    (1)マルコの福音書8章27~30節・・「あなたは、キリストです。
    (2)ルカの福音書9章18~20節・・「神のキリストです」とあります。

    ※いずれも「キリスト」という言葉が共通しています。


  • 福音書の後半のテーマは、上記にあげた前半の結論、すなわち「あなたはキリストです」の直ぐ後に記されています。それぞれ何度も繰り返して出てきます。キリスト(メシア)の苦難と栄光が綴られています。それは聖書(旧約)全体の中に預言されていたことで、イエスはその実現者(完結者)として遣わされたのです

    【新改訳改訂第3版】マタイの福音書16章21節
    その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。


    並行記事として、
    (1)マルコの福音書8章31節
    それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
    (2)ルカの福音書9章22節
    そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」

    ※いずれも「捨てられ」「殺され」「よみがえる」という事実が語られています。


2. 使徒の働きにおける「福音」の宣教

  • 初代教会における「福音」は、イエスがキリストであるという事実でした。使徒の働きを見るなら、そのことが歴然としています。

    (1) 使徒ペテロの
    ●使徒2:36
    「・・イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(「しかし、神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。」2:24)
    ●使徒3:20
    それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシアと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
    ●使徒5:42
    そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。

    (2) 伝道者ピリポ
    ●使徒8:12
    ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。

    (3) 使徒パウロ
    ●使徒9:22
    しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。
    ●使徒17:2~3
    2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
    3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。
    ●使徒18:5
    そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。
    ●使徒28:31
    大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

    (4) 伝道者アポロ
    ●使徒18:28
    彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。


2013.7.5


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