****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

弟子たちのつまずきの予告

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5. 午後9時~午後10時 弟子たちのつまずきの予告

【聖書箇所】
マタイの福音書26章30~35節、マルコの福音書14章26~31節
ルカの福音書22章31~34節、ヨハネの福音書13章36~38節


ベレーシート

  • 最後の晩餐が終わってからイェシュアとその弟子たちはエルサレムの二階座敷を出て、みなでオリーブ山へ出かけていきます。そのときイェシュアは弟子たちに、「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」と予告しました(マタイ26:31、マルコ14:27)。すると、弟子たちの筆頭であるペテロはイェシュアに、「たとい全部の者がつまずいても、私は決してつまずきません。」と言いました(マタイ26:33、マルコ14:29)。
  • ところが、ルカの福音書では、ペテロが大言壮語する(22:33~34)前に彼に対するイェシュアの計らいが記されているのです。

【新改訳改訂第3版】ルカの福音書22章31~34節
31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

  • ここでは特に、31~32節にあるイェシュアのことばに注目して瞑想してみたいと思います。

1. ペテロに対するイェシュアのとりなしの祈り

  • サタンはイスカリオテのユダの中に入りイェシュアを裏切るように駆り立てましたが、ペテロや他の弟子たちに対してその攻撃の刃を向けようとします。「サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」とあるのがそれです。「麦のようにふるいにかける」とは、穀類ともみがらを仕分ける行為を意味します。したがって、サタンは使徒たち(ルカの場合は弟子ではなく「使徒」ということばが使われます)をイェシュアから引き離すべく誘惑することを意味しています。
  • ところが、32節では使徒たちの中のペテロへと焦点が移り、彼の信仰が危機にさらされることになることを見越して、イェシュアが彼のために祈ったと述べています。案の定、ペテロの強がりのことばにもかかわらず、みじめにもペテロはイェシュアを知らないと三度も否定して失敗します。もし、予め、イェシュアがペテロのために祈っていなかったとしたら、ペテロは簡単に信仰を失い、サタンの力に屈服してしまったはずです。しかし、サタンの攻撃はイェシュアのとりなしの祈りによって阻止されました。

2. ペテロに対する主のご計画と励まし

  • ここで重要なことは、失敗するペテロに対するイェシュアのは励ましの言葉です。
    だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
  • 「立ち直る」と訳されたギリシア語は「神に立ち返る、向きを変える」ことを意味する「エピストレホー」(ἐπιστρέφω)です。この言葉をヘブル語に戻すと「シューヴ」(שׁוּב)となり、しかもその「シューヴ」が二重に重ねられています。「立ち返り、立ち返る」というふうに。
  • イェシュアの祈りはペテロが失敗しないようにと願ったのではなく、失敗しても神にしっかりと立ち返るようにと祈られたのです。ここが重要な点です。つまり、失敗したところから悔い改めて神に立ち返ることができるのは、私たち人間の力ではなく神の恩寵的なわざだからです。ですから、立ち返った者に対する神の要求は大きいのです。これは「多く与えられた者は、多く要求される」という御国の原則です。ペテロの場合、その要求は、「兄弟たちを力づける」ということでした。
  • ギリシア語原文ではこの「力づけなさい」という命令は、「アオリスト時制」になっています。「アオリスト」それ自体は「~した」という単なる過去を意味しますが、それが命令形として使われる場合、きわめて特異な意味合いを持つのです。つまり、命令形のアオリストというのは、主体的、かつ決定的な決断を伴うことを要求する命令形なのです。その使用例は決して多くはありませんが、もう一つの例を後に挙げたいと思います。
  • その前に、この「力づける」というギリシア語は「ステーリゾー」(στηρίζω)は、新約で13回使われています。「しっかりと据え置く、堅く据える、固定させる、強固にする、強める」という意味です。大変な務めを担うニュアンスです。自分がブレていてはできない働きですが、この働きも神の力によってなすことができるという前提があります。
  • ちなみに、この「力づける」という動詞のヘブル語訳には「ハッゼーク」(חַזֵּק)という語彙が使われています。「ハッゼーク」は「ハーザク」(חָזַק)の強意形ピエル態です。必ずしもここでは命令形として訳さず、「あなたは兄弟たちを力づける(者となる)」という意味で使われています。したがって、「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」というニュアンではなく、「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけるのです(力づける者となるのです)。」というニュアンスです。後者の方が、イェシュアのとりなしの祈りが聞かれているように思います。「~してやりなさい」という要請ではなく、必ず「~するようになる」というニュアンスであり、イェシュアのとりなしのによる神の恵みの力を強く感じされるのです。ヘブル語ではそのようなニュアンスとなるのです。そして確かにペテロはそのような者となったのです。
  • 私自身もかつて主に対して大きな失敗を犯した者です。しかしそのとき、ペテロに対する主のことばは私に大きな励ましを与えてくれました。そして感謝なことに、今があるのです。

2015.3.15


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