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従順による祝福と不従順によるのろい(3)

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レビ記は、「キリストの十字架の血による贖いの神秘」を学ぶ最高のテキストです。

29. 従順による祝福と不従順によるのろい (3)

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  • レビ記26章14節以降は、「祝福」の約束ではなく、「のろい」が宣言されています。

【新改訳改訂第3版】レビ記26章14~15節
14 もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらの命令をすべて行わないなら、
15 また、わたしのおきてを拒み、あなたがた自身がわたしの定めを忌みきらって、わたしの命令をすべて行わず、わたしの契約を破るなら、


●「もし、あなたがたが・・なら」、16~33節に記されているペナルティ(違反による罰)がもたらされるということです。主なる神とイスラエルの民は夫婦関係であり、民が偶像の神(男)と不倫関係になれば、夫婦としての契約を破ることになるわけですから、当然ながら、ペナルティとしてのさまざまな痛みを受けることは致し方ありません。

「第一の痛み」(16~18節)・・肉体的、心的病
「第二の痛み」(19~21節)・・ききん
「第三の痛み」(22~24節)・・野獣の繁殖により人口が激減する
「第四の痛み」(25~33節)・・戦争と極度の食糧不足、国土の荒廃
といった痛みがもたらされます。これらが契約違反がもたらすペナルティの痛みです。


1. 「それにもかかわらず」の神

  • ここでは特に、44節にある「それにもかかわらず」と訳されたフレーズに注目したいと思います。ヘブル語では「ヴェ・アフ・ガム・ゾーット」(וְאַף־גַּם־זֹאת)で、三つの接続詞と一つの代名詞がマケフによって一つにつながっています。バルバロ訳は「だが」という訳語を使っていますが、新改訳、新共同訳、口語訳はそろって「それにもかかわらず」と訳しています。
  • この「それにもかかわらず」という背景には、数々のペナルティは当然のことで、それが何度も繰り返されれば回復の道はないという前提があります。しかし、「それにもかかわらず」なのです。

【新改訳改訂第3版】レビ記26章44節
それにもかかわらず、彼らがその敵の国にいるときに、わたしは彼らを退けず、忌みきらって彼らを絶ち滅ぼさず、彼らとのわたしの契約を破ることはない。わたしは彼らの神、【主】である。


●この節には、イスラエルの民が自分たちが犯した罪のゆえに敵の国にいるときにも、神がご自身の民に対して、
①「退ける」・・・「マーアス」(מָאַס)。初出箇所はレビ26:15,43, 44
②「忌みきらう」・・「ガーアル」(גָּעַל)。初出箇所はレビ26:11, 15, 43, 44
③「絶ち滅ぼす」・「カーラー」(כָּלָה)
④「破る」・・・・「パーラル」(פָּרַר)
ということがすべて否定辞を伴って否定されています。

●神の民イスラエルが主を「退け、忌みきらった」としても、決して、神は彼らを「絶ち滅ぼしたり、契約を破ったりはしない」という神の宣言です。なにゆえにそうなのかと言えば、それは「アブラハム契約」のゆえなのです。シナイ契約によれば絶ち滅ぼされてもかまわない者が、アブラハム契約のゆえに、「退けられず」「忌みきらわれず」「絶ち滅ぼされず」「破られない」のです。なんという恩寵的契約でしょうか。


2. 彼らの先祖たちとの契約を「思い起こす」神

  • 45節に「わたしは彼らのために、彼らの先祖たちとの契約を思い起こそう。」とあります。ここでの「彼らの先祖たちとの契約」こそが「アブラハム契約」と言われるもので、アブラハム・イサク・ヤコブと結ばれた契約です。これは将来のある時点で、それまで忘れていたことを思い起こすという意味ではありません。いつも常に「覚えていた」(「ザーハル」זָכַר)ことを意味しています。
  • 「シナイ契約」は、神のご計画全体において、ある目的がありました。それは神の民の真実な姿を明確にするという目的です。神の民の罪を明確にすることができたとしても、その契約には神のご計画を実現させる力はありません。しかし、「アブラハム契約」は神のご計画を神ご自身が実現するという目的が含まれています。それゆえ、神の選びの民は「滅びる」ことがないのです。イスラエルの民という選ばれた存在を通して、神が怒るお方であるということがあかしされるためなのです。
  • 神の義と愛のパラドックスを通して、神の永遠のご計画が実現されます。使徒パウロはこのパラドックスに驚きを込めて次のように述べています。

【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙11章33~36節
33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。


2016.7.6


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