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御国に生きる幸いな人々の特権

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6. 御国に生きる幸いな人々の特権

ベレーシート

  • 「八つの幸い」の個々を取り上げる前に、全体像をまず見たいと思います。この「八つの幸い」はきわめて美しい整った構成を持っています。その構成を見てみたいと思います。脚注1

1. 「すでに今」と「いまだ」の緊張関係を表す時制

  • 以下の図を観察すると、第一の幸いと第八の幸いの理由を示す動詞が現在形であること。そしてそれに囲まれるようにして他の幸いの理由を示す動詞が未来形であることが分かります。これは「天の御国が近づいた」という福音の「すでに今」と「いまだ」の緊張関係を如実に表しています。すでに今手にできる幸いな現実と、やがて時が来た時に手にできる完全な幸いの約束です。この時制を知るだけでも、ここで語られている幸いとは、叱咤激励したり、私たちの努力で実現できたりするものではないことがわかります。

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2. 天の御国の一つの幸いにおける八つの面

  • 天の御国はどのような人々によって成り立っているのでしょうか。それは幸いな人々によってです。「八つの幸い」は、天の御国に住む人々の特権的幸いですが、八つの中のいくつかがあればそれで幸いということではなく、八つのすべての面をもっている人々です。それは「一つの幸い」の八つの面だということです。以下の図はそのことを表しています。天の御国とは、八つの幸いのすべての面を持った民によって成り立っている神の支配(王国)なのです。 脚注2
  • 御国の王であるメシアはそれを実現するために再臨されますが、それまでの間、御国の民はこの神のご計画を知りつつ、御霊の助けによって生き、かつ、待望することが求められています。

画像の説明

  • 「八つの幸い」の一つ一つの幸いの面が、パターン化した文になっています。つまり、「マカリオス」(μακάριος)の複数形「マカリオイ」(μακάριοι)で始まり、その理由を表す「ホティ」(ὅτι)という言葉が続く文節です。
  • この表現は詩篇などに多く見られます。詩篇1篇は「アシュレー・ハーイーシュ」(אַשְׁרֵי הָאִישׁ)で始まっています。つまり詩篇1篇のテーマは「幸いなのは、その人」なのです。原文を見ると、一目瞭然なのですが、訳文からそれを見出すことはなかなか困難です。しかも「幸いなのは、その人」の「その人」がイェシュアのことを指し示していることにもなかなか気づきません。自分の力でそんな人になろうと頑張ってしまいます。「昼も夜も、主のおしえを口ずさむ」ことのできる人はいないばかりか、誰にもできないのです。しかしイェシュアが王となって支配される国は、そのような人々で成り立っているのです。このような王国の訪れが、「御国の福音」と言われるものです。

3.「八つの幸い」は二つのグルーブに分けられる

  • 八つの幸いは二つに区分される(前半が3~6節、後半が7~10節)と言われます。その理由は三つです(中澤啓介「マタイの福音書注解 (上)」、299頁参照)。

(1) 6節と10節にそれぞれ「義」という語彙があること。

(2) 前半の幸いな人々が、すべてギリシア語の「ピー」(π)の文字で始まる語彙が用いられていること。以下、原文は複数形ですが、ここでは単数形で示します。

●3節「貧しい人」(「プトーコス」πτωχός)、
●4節「悲しむ人」(「ペンセオー」πενθέω)
●5節「柔和な人」(「プラウス」πραΰς)
●6節「飢え渇いている人」(「ペイナオー」πεινάω)。

以上、ひとつのまとまりがあるという点です。後半の7~10節はこのようにはなっていません。

(3) 前半の四つが神に対する姿勢を表すのに対して、後半の四つは人に対しての姿勢を表しているということ。



脚注1

八つの至福を七つの至福と考える考え方があります。その根拠は、第一の至福の「貧しい人」(「アーニー」עָנִי)と第三の至福の「柔和な人」(「アーナーヴ」עָנָו)が、ענという共通の語根を持っており、第三が第一の説明文として位置づけことで、全体を七つとしています。その場合、ユダヤ人の文学様式であるキアスムスの構造てき視点から、七つの「アシュレー」の中心は第四の「あわれみ深い者たちはさいわいである」ということになります。

●キアスムス構造(交差配列法、Chiastic structure)については以下を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%8C%AF%E9%85%8D%E5%88%97%E6%B3%95

脚注2

●「八つの幸いな人々」と同様、マタイの福音書13章の「天の御国のたとえ」も八つからなっています。
(1) 「種を蒔くたとえ」(13:1~23)
(2) 「毒麦のたとえ」(13:24~30)
(3) 「からし種のたとえ」(13:31~32)
(4) 「パン種のたとえ」(13:33)
(5) 「畑に隠された宝のたとえ」(13:44)
(6) 「真珠のたとえ」(13:45~46)
(7) 「引き網のたとえ」(13:47~50)
(8) 「一家の主人のたとえ」(13:51~52)


●前半の(1) ~(4)は群衆に対して、後半の(5) ~(8) は弟子たちのために語られています。
●「8」の数はイェシュアと深くかかわる数字であり、また、「救い」を象徴する数字でもあります。


2017.1.9


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