****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

御子を通して語られる神

第2日 「御子によって語られる神」 

ー御子は御父の最後の完全な代弁者ー

はじめに

  • ここでは、神がご自身のひとり子である御子イエスを通して、最後の完全な切り札として私たちに語っておられることを学びたいと思います。

【新改訳】
1:1
神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
1:2
この終わりの時には、御子によって、 私たちに語られました。


【リビングバイブル訳】
1:1
ずっと昔、神様は、幻や夢や、時には、直接の語りかけなどの、いろいろな方法で、預言者たちを通して先祖たちに、ご自分の計画を少しずつ明らかになさいました。
1:2 
しかし今の時代には、ご自分のひとり息子を通して語っておられます。

  • このテキストの要点は、神は、昔は預言者たちを通して語られましたが、この終わりの時代には(つまり今の時代には)、神のひとり子、つまり御子イエスによって最終的に、しかも完全な形において語られているということなのです。
  • 日本には八万の神がありますが、そのすべては「口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。」(詩115篇5~7節)-そんな神です。なぜなら、それらはひとの手によって造られた偶像だからです。偶像の神はむなしい存在です。聖書ははっきりと偶像の神の本質を語っています。それは「自分のために造られた神」だということです。「自分ために」―自分の欲望を無限に肯定してくれるような神、都合が悪ければ顔を背けてくれている神、まことに都合のいい神―それが偶像の神です。結びの神、子宝の神、安産の神、受験シーズンに必要な学問の神、商売繁盛の神、建物を建てる前に事故がないように守ってくる地の神、・・などいろいろです。挙げればキリがありません。そのような神は決して私たちに語ってくれる神ではありません。私たちの都合に合わせてかかわってくれればそれで良いわけです。私たちに本当に必要なことを語ってくれる神でも、私たちが誤った道を歩んでいるときその危険を知らせてくれる神でもありません。なぜなら、「口があっても語れず、手があっても触れず、喉があっても声も立てることができない」からです。
  • 聖書の神は「語られる神」です。口をもって私たちに語りかけ、耳をもって私たちの祈りや叫びをお聞きになり、必要あれば、御手をもってかかわってくださる方です。宗教学的にいうならば、人が作った偶像の神に対して、啓示の神ということばが使われます。「啓示の神」とは、神ご自身が自ら現わされない限り、決して人には知ることのできない神のことです。この「啓示の神」は、私たちの都合で言うことを聞いてくれるような方ではありません。神の語られることを私たちが聞いて信じることになしには、かかわることのできない神なのです。
  • その「啓示の神」―つまり「語られる神」について、へブル人の手紙の記者は
    1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
    1:2 この終わりの時には、御子によって、 私たちに語られました。 ・・」
    と記しています。ですから、私たちはこの御子の語ることに聞く耳を持たなければならないのです。
  • 御子イエスは、その生涯においてしばしば「耳ある者は聞きなさい」と言われました。キリスト教についていろいろな情報を耳にするかも知れませんが、イエスの語ることばに直接、耳を傾ける構えがなければなりません。御子のことばはどこにいけば聞けるのかと言えば、聖書の中にそれが記されています。あるいはイエスの語ることを解き明かしてくれる教会とかかわらなければ聞くことはできません。

1. いろいろな方法で

  • LB訳では、「神様は、幻や夢や、時には、直接の語りかけなどの、いろいろな方法で」と訳しています。いろいろな方法の中には、御使いやくじ引き、奇蹟的な出来事などがあります。しかし、どのような方法で語られたのかは重要なことではありません。大切なことは、神が語りかけたという事実です。そして神の民(あるいはそれを聞く者)が、それをどのように受け止め、理解したのかが重要なのです。

2. 預言者たちを通して

  • 重要なことは、どの預言者もやがてイエス・キリストによって実現する神の完全な救いの計画を見て預言していたという事実です。ところが、キリストによる「終わりの時」におけるキリストの教会時代のことは旧約時代の預言者たちには啓示されていませんでした。

預言者が見ていた終りの時 終わりの時代の構造

  • 教会時代は、神の民であるユダヤ人がメシアを拒んだがゆえに、新たに啓示されたことでした。それは使徒パウロにはじめて啓示されたものでした。パウロはこれを「奥義」(今まで隠されてきた事柄という意味でのミスティリオン)と呼んでいます。

3. 今は、御子を通して語りかけておられる神

  • これまで神は多くの預言者によって語られましたが、御子は神の完全な、究極の啓示者です。したがって、この御子の声を日々聞いて生きることが、神の子とされた私たちにとってなによりも重要なことなのです。
  • 福音書は、天から告げる御父の声をイエスの生涯において三度あったことを記しています。「三」は聖書においては確約の数です。一度目は、イエスが公生涯に入られる前に洗礼を受けられた後に天が開けて御霊が鳩のような形をして下られ、そして天からの声がしました。「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」 
  • もうひとつは、御子イエスがどのようなお方であるかを弟子の筆頭であるペテロが「あなたは神の子キリストです」と告白した一週間後にイエスは弟子のペテロとヤコブとヨハネだけを連れてヘルモン山に行かれた時、そこでイエスの御姿がまばゆいばかりの光に包まれました。そのとき雲の中から声がしました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」と(マタイ17:5、マルコ9:7、ルカ9:35)。
  • 三度目は、ヨハネの福音書12章28節にあるように、「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」です。群衆にはそれが雷が鳴ったように聞こえたようです。
  • 天から、あるいは雲の中から語られた御父の声は、御父と御子の関係がいかなるものであるかが、また御父と私たちとのかかわりがいかなるものであるべきかが如実にあらわされています。御父の御子に対するゆるぎない愛、その方を私たちのために遣わされた御父が、「彼のいうことを聞きなさい」と告げる言葉の中に、御父が御子を信任し、全権をゆだねておられるのが分かります。
  • わかっているようで、わかっていないことがあまりにも多くありますが、そのひとつに「御父と御子の関係」があります。いずれも神でありながら、全く異なるペルソナ(ー人間で言うならば人格、異なる意志と感情をもった存在―)を有する。しかも、両者がひとつであるというかかわりです。そんなかかわりを持っているのはこの世には聖書の神以外に存在しません。そこで御父と御子のこの特異なかかわりを整理しておきたいと思います。
    御父と御子のかかわり
  • 神(御父)は、すべて御子「によって」(「をとおして」、through)しか何事もなさいません。御子によって、御子とともに、御子のために、御子のうちにあって、すべてをなさる方です。それほどに御子を信頼し、愛し、その存在を喜んでおられるのです。しかも永遠にです。神が天と地を創造され、私たち人間を神の在り方に似せて造られましたが、それも、御子によって(御子をとおして)、御子とともに、御子のために、御子のうちにあってなされたのです。
かかわりのキーワード
  • そうしたかわわりのキーワードは「ゆるぎない信頼」「賦与(与えること)」「委任」「愛」「喜び」です。これは御父の御子に対するかかわりキーワードです。反対に御子の御父に対するかかわりのキーワードもやはり「ゆるぎない信頼」と「従順」です。このようなかかわりをもった御父と御子が、私たち人間に対してことをなさるのです。その一つが「語りかける」ということでした。
  • 語りかける」というのは、
    ①それは相手とかかわろうとする意欲の現われです。
    ②それはその人自身の開示といえます。もし語ることがなければ、自分の心の思いや意向を伝えることはできません。同様に、だれも近づくことのできない光の中に住みたもう神が自ら語り出すのは、ご自身を私たちに啓示するためです。
    ③それは相手に聞くことを要求します。「彼のいうことを聞きなさい」との天からの声に、私たちは全心の注意を払って耳を傾けなければなりません。
  • 神は、かつて預言者たちを通して不完全な形で語りましたが、今や、御子によって完全な形で語られたのです。「天よ。聞け。地よ。耳を傾けよ。」(イザヤ1章2節) 「耳ある者は聞きなさい」と呼びかけられています。

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