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心を尽くして主に拠り頼め

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31. 心を尽くして主に拠り頼め

【聖書箇所】 箴言3章5節

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【読み】
ハ エル アドーイ ベル リベーハー ヴェエル ビナーハー アルテッシャーエーン

【文法】
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ヘブル語で「心」を意味する語彙は、「レーヴ」לֵבと「レーヴァーヴ」לֵבָבがあります。「レーヴ」לֵבは601回、「レーヴァーヴ」לֵבָבは252回の使用頻度です。

【翻訳】

【新改訳改訂3】
心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
【口語訳】
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
【新共同訳】
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
【NKJV】
Trust in the Lord with all your heart, And lean not on your own understanding;

【瞑想】

「心を尽くす」とは「一心」「全心」と同義です。日本語の「心」は情緒に重きが置かれますが、ヘブル語の心(「レーヴ」לֵב)は、むしろ理解力を意味します。つまり、知性や意志の働きと強くかかわり、「計画・意図・良心・決断」といった意味を含んでいます。

「心を尽くして主に拠り頼む、信頼する」ということは、消極的には、自分の知識や経験に基づく理解に頼らないということであり、積極的には、すべての道において主を認めるということです。「すべての道において主を認める」とは、順境においても、逆境においても、いかなる状況においても、主に信頼するということです。

「信頼する」「拠り頼む」と訳されるヘブル語のバータハבָּטַח (batach)は「安心する、安全である、思い煩わない、信頼する、信用する、頼みとする、安んじる」といった意味合いがあります。私が学んだ神学校の教授は、このバータハを「大地の上に、大の字になって身を横たえるイメージ」だと教えてくれました。これは完全な依存、完全な信頼を意味します。

バビロンの捕囚となったユダの人々は、一日も早くそこから解放されて元いたところに帰りたいと願いました。しかし預言者のエレミヤは彼らに、そこで家を建てて住み、普通の勤勉な生活を送り、そこで二代、三代かけて、彼らが心を尽くして主を捜し求めて、主を見出すようにという主のことばを手紙で伝えました。そのようにして初めて「捕囚経験」が、ユダの人々に将来と希望を与えるものとなることを語っています。

真に意義のある経験は、最短距離を走ることによっては決して得られません。多くの歳月を費やしても、歩むべき道を歩み通す、最後まで歩き抜く、それがエレミヤの言う(否、神が言われる)「心を尽くす」という意味です。

詩篇77篇13節に「神よ。あなたの道は聖です。」とあり、19節には「あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。」とあります。神のご計画は私たちの考えや思いをはるかに越えており、常識を逸脱した道、隠された道であって、まさに「聖」なのです。しかしその道は私たちの目には見えずとも、その道は確かに海の中に敷かれていたのです。「心を尽くして主を信頼する」とは、自分の思いや経験的な理解を越えた主の備えられた最善のご計画があることを信じて、完全にそれにゆだねることを意味しています。

「心を尽くして【主】に拠り頼め」というみことばを実践した模範的人物こそイエス・キリストです。ですから、ヘブル人への手紙の記者は「信仰の創始者であり、完成者であるイエス(つまり、信仰のアルファであり、オメガである方)から目を離さないでいなさい。」(12:2)と語っています。なぜなら、私たちの救いは、御子イエスの御父に対する完全な信頼と従順(いのちの絆=永遠のいのち)の中にあるからです。
それゆえ使徒パウロは、「恐れおののいて自分の救いを達成するように」(ピリピ2:12)と勧めています。


【付記】
「思い起こそう(神よ、あなたの道は聖です)」⇒楽譜

2013.3.17


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