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恩寵用語Ps10

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詩10篇「助ける」 עָזַר アーザル 

〔カテゴリー防衛〕  

14節「あなたはみなしごを助ける方でした。」(新改訳)
14節「孤児(みなしご)には、あなたが助け手となりました。」(岩波訳)
14節「あなたは孤児を助けられる」(関根訳)
14節「親のない子どもはささえられる」(典礼訳)

Keyword; 「助ける」 help 10:14/22:11/28:7/3:10/37:40/46:5/54:4/72:12/79:9/86:17/107:12/109:26/118:7, 13/119:86, 173, 175/

  • 「助ける」と訳される「アーザル」(עָזַר)は、この詩10篇ではじめて登場します。旧約では81回、詩篇では17回使われています。名詞は「エーゼル」(עֵזֶר)で、「助けの石」(エベン・エーゼル、略してエベネゼル)ということばがサムエル記第一7章12節にあります。預言者サムエルがペリシテとの戦いにおいて勝利したときに、そのことを記念とするために、一つの石を取ってミツパとシェンの間に置いたことによります。「助けの石」の意味するところは、「主はここまで助けてくださった」です。
  • 詩9篇までは、「貧しい者」、「悩む者」、「しいたげられた者」という表現が目立ちましたが、詩10篇ではさらに「孤児」と「不幸な者」という自己認識が加わります。すべて弱者の認識です。自分の力では生きることのできないことを認識しています。
  • この詩篇は大きく二つに分かれています。前半(1~13節)の<地的現実>です。神を侮り、高ぶる悪者、悩む者に追い迫り、罪のない者を殺し、不幸な者を狙っています。それゆえ、彼らはうずくまり、倒れています。そんな不条理な現実に、作者は「なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」(1節)という神の不在と沈黙を訴えています。作者は悪者たちの様子を驚くほどよく観察しています。その結果、心と思いが翻弄されてしまっています。
  • 後半(14~18節)は<天的現実>です。一見、神は不在で沈黙していると思っていた作者でしたが、「あなたは、見ておられました。」(14節)という天的現実に目が開かれています。この「見ておられた」と訳された「ラーアー」(רָאָה)は、普通に「見る」(see)という意味ですが、「じっと見ておられた」と訳された「ナーヴァト」(נָבַט)は、よりはっきりと識別して顧みる、感知して理解するという意味です。これは悪者たちにとっては恐ろしいことですが、主に頼る者にとっては恩寵となります。
  • 主は地から生まれた人間(エノシュ)が、もはや、貧しい者、孤児、しいたげられた者たちを脅かすことがでないように、彼らを「助け」 (עָזַר)、彼らの声を「聞き」(שָׁמַע)、彼らの心を「強くし」(כּוּן)、彼らを「かばう 」(שָׁפַּט)方です。作者は神の不在と沈黙の中でそのことに気づかされたようです。神に対する幻想が打ち砕かれて、神に対する真の信仰が強められています。さらには、はからずも、作者は弱い者たちと深く連帯しているのもすばらしい神の恩寵といえます。

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