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恩寵用語Ps105

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詩105篇 「覚えている」זָכַר ザーハル

〔カテゴリー愛顧〕

  • 8節「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。」(新改訳)
  • 8節「主はとこしえに契約を御心に留められる。」(新共同訳)
  • Keyword;「覚える、御心を留める」 remember, be mindful of
    8:4/9:12/78:39/105:8, 42/115:12
  • 神の恩寵としてのザーハルזָכַר(zakhar)は、詩103篇14節のように、主が、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを「心に留めておられる。」という顧みの恩寵と、詩105篇8節、42節のように、イスラエルの民に対するご自分の契約やことばを決して忘れることなく、とこしえに「覚えておられる」「思い起こす」という記憶の恩寵があります。それゆえ、私たちに対しても神は、ご自身がなされた奇しいわざを「思い起こす」ように求められます。とはいえ、イスラエルの歴史の真実は、神の恵みを思い出すことなく、心に留めることもなく、忘恩の罪を犯し続けました。「歴史化された詩篇」にはいつもそのような構図が見られます。たとえば、詩篇78篇、106篇などはそうです。
  • 神の恩寵としてのザーハルזָכַר(zakhar)が聖書で最初に登場するのは、創世記8章1節です。神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしよにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。」、そして、神はノアに契約を立てて言いました。「あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と、またすべての生き物は、もはや大洪水の水によって滅ぼすようなことはない。」(同、9:9~15)と約束されました。そのしるしとして「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神とすべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう(זָכַר)。」(同、9:16)と約束されました。
  • エレミヤ書の31章20節はこの書の心臓部ーこの章を除いてほとんどが「神の怒り」の宣言で終始していますが、その神の怒りが全く姿を消して、神の愛のみが支配しているのはこの31章のみーです。そこにはこう記されています。
    • 「エフライムは、私の大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す(זָכַר)。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたし彼をあわれまずにはいられない。」
  • 「わたしのはらわたは彼のためにわななき」と訳された箇所を文語訳では「我が腸はかれの為に痛む」と訳されています。「わななく」「痛む」の原語はハーマーהָמָה(hamah)です。ハーマーの原義は「鳴り響く」です。海のどよめき、獣の声、群衆の騒音等に用いられますが、人的状態に用いられる時は「嘆き、呻く」「心が乱れる」「立ち騒ぎ」「思い乱れる」の意味になります。そしてこの言葉が神の心的状態について用いられる時は「はらわたが痛む」となります。この神の痛みに基づく愛こそイエス・キリストの十字架の愛です。このような愛に基づいて、神は私たちを心に留め、約束を覚えておられるのです。


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