恩寵用語Ps105(1)
Ⅳ/A(90~106篇) | テキストPs105 | 原典テキストPs105 | 瞑想Ps105/A | 瞑想Ps105/B | 礼拝用語Ps105 | 恩寵用語Ps105(2) |
詩105篇(1) 「(契約を)結ぶ」כָּרַת カーラット
〔カテゴリー愛顧〕
9,10節「その契約はアブラハムと結んだもの、・・イスラエルに対する永遠の契約とされた。」(新改訳)
Keyword;「結ぶ」 make a covenant with 50:5/89:3/
- 主がアブラハムと結んだ契約は、「永遠の契約」(10節)とも、「聖なることば」(42節)とも言われます。「結ぶ」と訳されたヘブル語は「カーラット」כָּרַתです。「カーラット」כָּרַתは、旧約で288回、詩篇では14回使われています。この動詞は、本来「切る、切り取る、切り離す、切り分ける」という意味です。なぜその反対の意味である「結ぶ」という意味になるのか、とても不思議です。これには当時の契約についての理解が必要です。
- 主がアブラハムとはじめて契約を結ぶときにも、当時の風習だったと思われますが、アブラハムは雌牛と雌山羊を二つに切り裂きました。それはその間を通ることによって、もし約束(契約)を破るなら、このように二つに切り裂かれても、滅ぼされても文句はいえませんという同意を表わすためであったようです。日本でも子ども同士が約束を交わすときに、「嘘ついたら針千本飲ます」と言って指切りをします。それほどに約束事を守ることは重要視されたのです。主なる神とアブラハムの場合、動物を切り裂いた後に、眠気がアブラハムを襲います。本来は両者が通おることで成り立つ約束が、ここでは主なる神だけが通ったのです。アブラハムは眠っていたのです。
- つまり、神がアブラハムと交わした契約は、神だけが通ったいわば一方的な契約なのです。それは、神の民がシナイ山のふもとで神と交わした双方の合意に基づく「モーセ契約」とは異なります。イスラエルの歴史において、神と民とのかかわりが危機的な状況に陥ったときに、必ず、登場するのがアブラハムと交わした契約です。この契約は、バビロン捕囚となった神の民、また新約時代の初代教会においても、また1948年のイスラエル建国以来のメシアニック・ジューの人々を通して、たびたびクローズアップされています。なぜなら、この「アブラハム契約」は決して無効にされることはありません。使徒パウロは「イスラエルに対する神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)と述べています。やがてはキリスト再臨後の千年王国において、イスラエルの民(ユダヤ人)は民族的に救われ、アブラハムの契約が実現します。ユダヤ人たちはこの「千年王国」を天国と考えているのです。
- 詩篇105篇が、おそらくバビロン捕囚経験の中で、「シナイ契約」とは別のサイトである「アブラハム契約」があることに気づき、その契約を土台として自らの信仰的危機を乗り越えたことはすばらしいことと言えます。キリストにある異邦人である私たちはもこのアブラハム契約に接ぎ木されていることを覚えて感謝するだけでなく、その契約の中に生かされていく者でありたいと思います。