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詩11篇「正しい者」צָדִּיק ツァーディーク   צְדָקָה ツェダーカー

〔カテゴリー防衛〕  

7節「主は正しく(צָדִּיק)、正義(צְדָקָה)を愛される。」

Keyword; 「正しさ、義、正義」 right, righteousness,

  • 10篇までの弱者のイメージを持つ表現が一掃され、詩11篇では「正しい者」ということばが目立ちます(3, 5節)。「正しい者」とはどんな者かを、この詩11篇は私たちに考えさせてくれます。
  • 「正しい者」と訳された「ツァーディーク」(צָדִּיק)は形容詞、名詞は「ツェデク」(צֶדֶק)で、正しさ、義、正義、救いと訳されます。「ツェデク」(צֶדֶקは倫理概念ではなく、関係概念です。倫理概念が先に来てしまうと、このことばの意味するところから外れてしまうように思います。つまり、義とは、神との正しいかかわりを意味し、「義人」、あるいは「正しい者」とは、その正しい神とのかかわりをもたせていただいた者ということになります。この詩篇でいうならば、1節にある「主に身を避ける」者のことです。
  • 詩11篇では、共に信仰の道を歩んできた仲間たちが「拠り所がこわされたら、正しい者に何ができようか」と言ったことについて、作者は違和感を抱いたようです。普段気づかないことが、ある危機を契機に、信仰の違いに気づかされたのです。彼らの言う「拠り所」とはいったい何なのか。「拠り所」をどこに置いているのかが明確にされたのです。
  • 「拠り所」と訳された「シェート」(שֵׁת)は、「根元」「基」「基礎」「いしずえ」「世の秩序」とも訳されることばです。詩篇ではここ11:3にしかありません。主にある者たちにとって、本来、「拠り所」がこわされることはあり得ないことです。危険が迫ったとき、どこに身を避けるか、どこに逃げるかが問われます。作者にとっては、主こそゆるがない拠り所であり、そこに身を避ける(逃れる)者こそ「正しい者」だという認識を持っていたようです。「拠り所」とは、自分を支えてくれる柱であり、基であり、根源です。その拠り所がこわれたならば「正しい者」はひとりもいなくなるはずです。
  • 4, 5節を見ると「・・主の目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。主は正しい者と悪者を調べる」とあります。主は天から「正しい者」がいるかどうかを「見通し」ておられます。この「見通す」ということばが「ハーザー」(חָזָח)です。「注視する、よく観察する」といった意味です。また「調べる」と訳された「バーハン」(בָּחַן)は真偽を点検(テスト)するという意味です。なぜなら、「主は正しく、正義を愛される(好まれる)からです。」
  • 7節後半では「正しい者」が「直ぐな人」(「ヤーシャル」יָשָׁר)に言い換えられています。とすれば、「正しい者は主に身を避け」と「直ぐな人は主の御顔を仰ぎ見る」は、同義と考えることができます。いみじくも「仰ぎ見る」と訳されたことばは、主の目は「見通す」(4節)と訳された「ハーザー」(חָזָה)です。お互いに目と目とを合わせて、親しく交わることのできる者―それが「正しい者」だと言うことができます。罪とは「主の御顔を避ける」ことであり、逆に「主の御顔を仰ぎ見ること」が義、正義、救いです。

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