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恩寵用語Ps113

詩113篇 「身を低くする」 שָׁפֵלシャーフェル

〔カテゴリー愛顧〕

6節「・・主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。」(新改訳)

Keyword;「身を低くする」 humble, himble myself, 113:6

  • 詩113篇にはきわめて特徴的なことばがあります。それは「身を低くして」と訳されるシャーフェル(שָׁפֵל)です。この動詞は旧約で30回、詩篇では4回です。この動詞の本来の意味は、神が高ぶる者を低くする、引き下ろす、引き下げるこを意味します。神自ら身を低くするということは、ここ詩113篇のみで、非常に珍しい表現なのです。
  • 神が天地を、つまり地だけでなく、天もを 低くしてご覧になるほどに、天よりも高い方であるということを示しいます。6節では「主は高い御位に座し」と表現しています。「だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。」と、その驚きを表明しています。
  • 神が天地を、つまり地だけでなく、天もを低くしてご覧になるほどに、天よりも高い方であるということを示しいます。6節では「主は高い御位に座し」と表現しています。「だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。」と、その驚きを表明しています。
  • 「身を低くする」と訳されたシャーフェル(שָׁפֵל)を省いている聖書もあります。口語訳では「遠く」、関根訳は「はるかに」と訳し、フランシスコ会訳、典礼訳、バルバロ訳では全く訳されていません。ちなみに、新共同訳は「なお低く下って」、文語訳は「己を低くして」、岩波訳では「低く下って」とシャーフェル(שָׁפֵל)を省かずに訳しています。
  • この詩113篇~詩118篇は、「ハレルヤ詩篇」と呼ばれ、過越祭など歌われていた詩篇です。イエスが最後の一週間の中で、最後の晩餐の後に弟子たちを連れて二階座敷を出てゲッセマネの園に行かれますが、そのときに歌った歌がこの詩篇歌集であろうと言われています。「主は、・・身を低くして」とは、まさにイエスが歌われた歌そのものを生きるべく、受難に向かって行かれる姿と重なります。
  • 使徒パウロはピリピ人への手紙の中で、主ご自身が「身を低くされた」ことを次のように述べています。「キリストは、神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者のすがたをとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、死にまで従い、実に十字架にまでも従われたのです。」(2:6~8)―これが、神が「身を低くする」ことの本当の意味でした。
  • 何の目的のために主みずから「身を低くされた」のか、詩113篇7, 8節ではその目的が記されています。
    ①「弱い者をちりから起こす(クームקוּם)」ため、
    ②「貧しい者をあくたから引き上げる(ルームרוּם)」ため、
    ③「君主たちとともに、王座に着かせる(ヤーシャヴיָשַׂב)」ためです。
  • 「着かせる」の動詞は、9節の「主は子を産まない女を、子をもって喜ぶ母として家に住まわせる」にも使われています。つまり、「着かせる」も「住まわせる」も同じ「ヤーシャヴ」です。「謙遜と高挙」の思想が、新約ではエペソ4章8節、コリント第二8章9節、ヘブル2章7節などにも見られます。


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