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詩12篇 「立ち上がる」 קוּם クーム

〔カテゴリー救出〕  

5節「主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼をその求める救いに入れよう。』」

Keyword; 「立ち上がる」  arise, rise up

  • 「今、わたしは立ち上がるーNow I will arise」の「立ち上がる」と訳された「クーム」(קוּם) は、旧約627回、詩篇52回と比較的多く使われている語彙です。詩篇の場合、その多く(10回)が主への嘆願―「立ち上がってください」-です。「主は立ち上がって下さる」という確信として用いられているのが3回。神ご自身が自ら「今、わたしは立ち上がる」と宣言しているのは12篇5節の1回のみです。それゆえこの5節はきわめて注目すべき箇所と言えます。
  • すでに3篇7節、7篇6節、9篇19節、10篇12節で「立ち上がってください、主よ」(Arise, O Lord!) と絶えず主に呼びかけていましたが、12篇5節はそれに対する答えとも言えます。神が重い腰を上げて、やっと立ち上がって下さったというイメージです。
  • 神がなにゆえ「今、わたしは立ち上がる」と宣言されたのでしょうか。この詩篇のコンテキストを考えるならば、それは「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから」とあります。「悩む人」(原文では複数「アニイーム」(עֲנִיִּים) 単数は「アニー」(עַנִי)、「貧しい人」(原文では複数「エヴヨーニーム」אֶבְיוֹנִים、単数は「エヴヨーン」אְבְיוֹן)、この二つはしばしばワンセットで用いられます。いずれも「貧しさ」を表わす語彙ですが、二つを重ねることで、より「貧しさ」が強調されています。自分の力では決して解決できない、悲惨な状態を表わしています。
  • さらに、神が立ち上がられた理由として、1節の「聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。」が考えられます。「聖徒」(単数)とは「ハーシード」(חָסִיד)で、主に熱心な者という意味です。「誠実な人」(原文では複数、「エムーニーム」אֱמוּנִים、語根はאמן)で、信仰のある人です。そのような者たちが「あとを絶ち、消え去った」ということ事態、大変なことです。
  • 神が「立ち上がる」そのときは、敵が脅かされるときです。かつてエジプトにいたイスラエルの民の叫びが天に届いたとき、神はモーセを召し出しました。民の叫びはいつも天に届いていたはずです。しかしやがて救いの手が下される時が来たのでした。そしてイスラエルの民はモーセを通してエジプトから救い出されたのです。
  • 新約でも、カナの婚礼時に肝心のぶどう酒がなくなりました。イエスの母が息子にその事実を伝えたとき、イエスは「わたしの時はまだ来ていません。」と謎めいたことを言われましたが、やがて「わたしの時は来ました」と宣言されました。その「時」とは、十字架の死からの復活を通して、世の人々を闇から救い出す神の「立ち上がりの時」でした。

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