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恩寵用語Ps18(1)

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詩18篇(1)「喜びとする」 חָפֵץ ハーフェーツ

〔カテゴリー愛顧〕  

19節「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされた(חֵפֶץ)から。」

Keyword; 「喜ぶ」 delight, pleasure, desire 18:19/22:8/37:23/40:6, 8/41:11/51:6, 16, 1/ 68:30/73:25

  • 主が私を「喜びとされた」と訳されるハーフェーツ(חָפֵץ)は詩18篇ではじめて登場します。神の恩寵の泉となる重要な語彙です。「喜ぶ」「喜びとされた」「喜び迎える」「気に入る」「愛する」「欲する」という意味です。名詞形ヘーフェツ(חֵפֶץ)で用いられています(1:2/16:3/107:30)。
  • 主が私を広い所に連れ出し、私を助け出されたその行為は、主が私を喜びとされたという原因があります。詩篇1:2の「まことに、主の教えを喜びとし、昼も夜も主の教えを口ずさむ」にも「原因と結果の法則」が見られます。つまり、昼も夜も主の教えを口ずさむという瞑想の行為は、主の教えを喜びとする心から生み出されます。このような「原因と結果の法則」は、見える世界だけでなく、目に見えない霊的な世界においても常に変わることのない法則です。この法則は人にも神にも適用されます。
  • この詩18篇には、神の「救い出し」「助け出し」「救い」という言葉が多く見られます。そうした行為はどこから出てくるかというならば、19節の「主が私を喜びされた」からです。自分が主の喜びの対象であることを知ること、何にも勝って重要です。この自己認識こそすべての力の源泉、かかわりの源泉と言えます。
  • 御子イエス・キリストのこの世におけるすべての働きの源泉は、御父の天からの愛の声―「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3:22)-でした。主が私を喜びとされたという信仰は、さまざまな良い実を結びます。イエスはこの「原因と結果と法則」を次のように語られました。「良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。」(マタイ7:17,18)
  • 神が私たちに対して良いお方である(原因)ならば、私たちに対してすべてのことを相働かせて益としてくださる(結果)のは法則です。私たちも神に対して良い思いを抱くならば、良い行い(働き)が表わされてくるのは当然のことなのです。それゆえ、神を知ることはきわめて重要です。使徒パウロはこの法則を次のように述べています。「キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ロマ 5:2~5)

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