恩寵用語Ps25(2)
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詩25篇(2)「教える」 לָמַד ラーマド
〔カテゴリー育成〕
9節「主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。」
Keyword; 「教える」teach, learn 18:34/25:4, 5, 9/34:11/51:13/60:7/71:17/94:10, 12/106:35/119:7, 12, 26, 64, 66, 68, 71, 73, 99, 108, 124, 135, 171/132:12/143:10/144:1
- 「教えることは学ぶこと、学ぶことは教えること」と言われるように、へブル語のラーマド(לָמַד)は、この二つの意味(teaching & learning)が結びついた動詞です。旧約では86回、詩篇では最も多く27回使われています。特に、詩119篇7, 71, 73節で「学ぶ」という意味で訳されています。71節は有名なみことばです。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
- 一つの詩篇の中に「教える」の同義語である「ヤーラー」(יָרָה) と「ラーマド」(לָמַד)を用いているのは詩25篇と詩119篇のみです。詩篇の次に「ラーマド」(לָמַד)が用いられているのは申命記で17回。しかも不思議なことに、トーラーと言われるモーセ五書の中で申命記にしか出てこない動詞です。ということは、申命記は徹底的に「教えの書」だと言えます。(4:1, 5, 10, 14/5:1, 31/6:1/11:19/14:23/17:19/18:9/20:8/31:12, 13, 19, 22)
- 申命記17章では、王に対しても、神の教えを学ぶことの大切さが訴えられています。「王がその王座に着くようになったなら、・・自分のために、このみおしえ(トーラー)を書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。」(18~20)
- イスラエルの歴史において、「主のみおしえ」と「主の道」を徹底的に学ぶようになったのはバビロン捕囚以降でした。その辱しめの経験を通して、自分たちのアイデンティティは、神から与えられた律法(トーラー)にあることを悟り、詩1篇にもあるように、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ(瞑想する)」ようになったのです。
- 「主は、貧しい者にご自身の道を教えられる。」(25:9)とあるように、神の民である者がいつの時代においても主の教えを真剣に学び、主の道を自分の生活の規範として生きることを望んでおられます。それゆえ、使徒パウロは愛弟子のテモテに対して、「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分をささげるよう、務め励みなさい。」(Ⅱテモテ2章15節)と書き送っています。
- また、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(同、3章1~17節)