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恩寵用語Ps27

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詩27篇「隠す、かくまう」צָפַן ツァーファン סָתַּר サーッタル)

〔カテゴリー愛顧〕

5節
「それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し(צָפַן)、その幕屋のひそかな所に私をかくまい(סָתַּר)、岩の上に上げてくださるからだ。」

Keyword; 「隠す、潜ませる、かくまう」 keep safe, hide,  
 ①「ツァーファン」(צָפַן・・31:20/83:3/etc.
 ②「サーッタル」(סָתַּר・・31:20/91:1/etc.

  • 「隠し」と訳された「ツァーファン」(צָפַן)も「かくまい」と訳された「サーッタル」(סָתַּר)も同じ意味をもった動詞です。「ツァーファン」(צָפַן)を「隠す」と訳しているのは、新改訳とフランシスコ会訳で「かくまう」と訳しているのは、岩波訳、関根訳。口語訳と新共同訳では「潜ませる」と訳しています。一方の新改訳、フランシスコ会訳で「かくまう」と訳された「サーッタル」(סָתַּר)は、岩波訳、関根訳、口語訳、新共同訳では「隠す」と訳していることからも分かります。
  • 偉大な主の器となった人はそれぞれ隠遁への召しがあります。たとえば、使徒パウロは主との出会いの後、3年間アラビアでの隠遁とバルナバに見出されるまでの生まれ故郷での10余年間の隠遁生活。現代の女性預言者バジレア・シュリンク(マリア福音姉妹会)の聖堂建設後の隠遁生活があげられます。隠遁は決して無駄な時ではなく、主の御顔を慕い求めさせ、主の麗しさを仰ぎ見させる主の御計らいなのです。彼らは隠遁生活を余儀なくされたことを通して、より深い神とのかかわりのいのちを汲み出す者とさせられたのです。
  • 神によって「隠される」こと、「かくまわれる」ことは大きな恩寵です。なぜなら、神がひそかに隠れ場を備えてくれなければ、神とのかかわりを集中させることができないからです。そして、「岩の上に」、また、「私を取り巻く敵の上に高く上げられる」こともなかったでしょう。主との深い親密な場所に隠されることによって、はじめて「ただひとつのこと」(One Thing)に集中でき、「主の麗しさを仰ぎ見、・・思いにふける」ことができるのです。
  • 「主の麗しさを仰ぎ見る」とは、主のすばらしさ、美しさを一心に思うことを意味します。また、「思いにふける」とは、深く静まって神の臨在に心の目を集中することを意味し、これが教会の伝統で重んじられる「観想」(contemplation)の原点です。
  • 「主の麗しさを仰ぎ見る」(4節)と同義の「主の御顔を慕い求める」(8節)という表現は、「神の恵みの光が降り注ぐ場に自分を置くことを意味します。」(高橋秀典-解説)。どんなに激しい苦しみや痛みの中でも、神に自分の気持ちを注ぎ出しながら、「主のことば、主の愛、主ご自身の中にとどまり続ける」(ヨハネ15章)ことです。それはなによりも、愛する人との時間を大切にし、その人の心のことばに真剣に耳を傾ける愛のあかしと言えます。今日の教会の霊性において、隠遁の意義を、再度、見直す必要があると信じます。

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