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恩寵用語Ps30

詩30篇 「御寵(のうちにある)」 רָצוֹן ラーツォーン

〔カテゴリー愛顧〕

5節「まことに、怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。」(新改訳)
5節「ひとときお怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。」(新共同訳)
5節 「その怒りはしばしで、その恵みは生命とともに長いからである。」(関根訳)
5節「ヤーウェの怒りは滅びをもたらし、好意はいのちをもたらす。」(フランシスコ会訳)
5節 「主の怒りはつかの間に過ぎますが、その恵みは生きる限り続きます。」(LB訳)

Keyword; 「恩寵、好意、恵み、御旨、喜び」favor, pleasing, will, delight, acceptable
5:12/19:14/30:5, 7/40:8/51:18/69:13/89:17/103:21/106:4/143:10/145:16, 19

  • 格言的ともいえる詩30篇5節の原文には動詞がありません。原文の直訳は、「まことに、一瞬は、彼の怒りの中に、生涯(いのちחַי(ハイ)の複数形)は、彼の意志(好意、恵み、恩寵)の中に」と並んでいます。5節の頭にはキー(כִּי)が置かれており、前節―「聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ」-の理由説明となっています。あるいは、新改訳のみが、副詞的に「まことに」と訳しています。いずれにしても、作者は神の怒りと表現される神の不在経験はつかの間にすぎないこと、むしろ一生涯は神の恩寵の中にあることを確信した表現と言えます。それが賛美と感謝の理由です。
  • ちなみに、「ラーツォーン」(רָצוֹן)は名詞ですが、動詞の「ラーツァー」(רָצָה)は「愛する、喜ぶ、好む、受け入れる、恵みを施す」の意です。
    詩篇44:3/49:13/51:6/77:7/85:1/102:14/119:108/147:10,11/149:4を参照。
  • ところが、私たち人間の弱さはそのように思えないことが多いようです。この詩篇の作者も、順境の絶頂にあるときには「私は決してゆるがされない」(30:6)と豪語したにもかかわらず、神が御顔を隠されたときには「おじ惑っていた」と告白しています。
  • 預言者イザヤのメッセージは、移りゆく時代の激動の中で、人々の心が林の木々が風で揺らぐように動揺したとき、「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。心を弱らせてはなりません。」(イザヤ7章1~9節)でした。現実の脅威の中で「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない。」というものでした。「静かにすること」-これがイザヤのメッセージの核心です。神に召された者たちの人生も山あり谷ありです。私たちが留意すべきことは、山あり谷ありの人生を受け入れることです。そして、谷の中にあっても主の恩寵の中にあることを確信することです。そして変わるものではなく、決して変わらないものに目を向けることです。それは主のうちにとどまることであり、この方によって力を得ることです。
  • イザヤ書30章15節にもこうあります。「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る』」と。この「力」とは、おそらく、使徒パウロが述べた「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ること―恩寵不変―」(ピリピ4章12節)だと信じます。

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