恩寵用語Ps37(2)
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詩37篇(2) 「解き放つ」 פָּלַט パーラト
〔カテゴリー救出〕
40節「主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる、彼らが主に身を避けるからだ。」
Keyword; 「解き放つ」
①rescue 「助け出す」17:13/22:8/43:1//82:4/91:14/
②delever「解き放つ」18:2, 43/22:4/31:1/37:40,40/40:17/70:5/71:2/144:2
③save 「救い出す」18:48
- 詩37篇40節には三つの救出用語(動詞)が使われています。
「主は彼らを助け(עָזַר)、(主は)彼らを解き放たれる(פָּלַט)。主は、悪者どもから彼らを解き放ち(פָּלַט)、彼らを救われる(יָשַׁע)。」
・・特に、この1節の中に「パーラト」(פָּלַט)という語が繰り返して使われています。
- 旧約では救出用語がこの他にも二つあります。一つは「ナーツァル」(נָצַל)で「救い出す」という意味。もう一つは「ハーラツ」(חָלַץ)で「助け出す」という意味です。少しまとめてみると、
a.「救う」・・「ヤーシャ」יָשַׁע)に対応するのが、「救い出す」「ナーツァル」(נָצַל)。
b.「助ける」・・「アーザル」(עָזַר)に対応するのが、「助け出す」・・「ハーラツ」(חָלַץ)。
c.「逃がす」・・「マーラト」(מָלַט)に対応するのが、「解き放つ」「パーラト」(פָּלַט)
- つまり、対応する言葉の前者が「敵による危険からの救出」であるのに対し、後者は「既に敵の手中にある状態からの救出」という意味で用いられているように思います。このように同じ救出用語でもニュアンスが異なっています。いずれにしても、主はいかなる状態にあっても、「私の救い」となってくださる方であるということです。少なくとも、詩37篇の背景にあるのは悪者(ども)が「正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして向かう」(12節)、「剣を抜き、弓を張った。悩む者、貧しい者を打ち倒し、行いの正しい者を切り殺すために」(14節)、「正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする」(32節)現実です。単に悪者のこの世での繁栄ぶりや横暴さではなく、正しい者(神に身を避ける者)に対する悪者の現実です。その現実に対して、主なる神は救ってくださるという恩寵が告白されています。
- 私たちの敵は血肉に対するものではなく、この暗闇の支配者である悪魔です。その悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽すべきものを捜し求めながら、歩きまわっています。ですから、堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かわなければなりません。ここで大切なことは、「堅く信仰に立つ」ということばが意味するものは何かということです。そのヒントは、詩37篇40節の最後に記されています。そこには主の救出の理由が記されています。その理由とは「彼らが主に身を避けるからだ」というものです。「身を避ける」(「ハーサー」חָסָה)は「逃れる」「寄り頼む」という信頼用語です。つまり、主が戦って、私たちを助け、救い出してくれることをどこまでも信じることだということです。しかもそのような人の歩みは主に酔って確かにされ、主もその人を喜ばれるのです(23節)。