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恩寵用語Ps43

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詩43篇「送る」 שָׁלַח シャーラハ

〔カテゴリー救出〕

  • 3節「どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。」 (新改訳)

Keyword; 「送る、遣わす」send, send forth 18:14, 16/20:2/43:3/44:2/57:3/78:25/104:10, 30/105:17, 26/107:20/111:9/135:9/147:15, 18

  • 「送る」と訳された「シャーラハ」(שָׁלַח)は、神の先行的恩寵を示す派遣行為です。旧約で847回、詩篇では33回ですが、神の恩寵を表わす箇所は16回です。詩43篇では、神が「光とまことを送る(遣わす)」ことによって、それらがエルサレムにおける神の臨在あふれるところへと連れて行ってくれると作者は確信しています。
  • 詩篇だけに限って言うならば、神の恩寵としての「シャーラハ」(שָׁלַח)は以下の恩寵的内容を含んでいます。
    「主は、いと高きところから御手を伸べて、私をえ・・」(18:16)
    「主が聖所からあなたに助けを送り」(20:2)
    「神は(天の戸を開いて)、飽きるほどの食物を送られた。」(78:25)
    「あなたの御霊を送られると、彼らは造られます。」(104:30)
    「主はそのしもべモーセと、主が選んだアロンを遣わされた。」(105:26)
    「主はみことばを送って彼らをいやし、・・」(107:20)
    「主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。」(111:9)
  • 神が送られる「光とまこと」(「オール」אוֹרと「エメット」אֶמֶת)という組み合わせの表現は、聖書ではこの箇所だけです。ふつうは「恵みとまこと」(「ヘセド」חֶסֶדと「エメット」אֶמֶת)がワンセットで用いられます。たとえば、詩57篇3節の「神は恵みとまことを送られる」、詩23篇6節の「いつくしみと恵み」(「トーヴ」טוֹבと「ヘセド」חֶסֶד)といった組み合わせもあります。最終的には、神(御父)が私たちのために遣われた御子イエス・キリストこそ「恵みとまことに満ちておられた」方であるとヨハネは紹介しています(ヨハネの福音書1:14, 17)。
  • なぜ、詩43篇だけが「光とまこと」なのでしょうか。「光」とは光源としての光ではなく、神のご計画とみこころ、御旨(神の喜び)と目的を意味します。そして、それを貫いているところの不変の神の真実こそ「まこと」です。この二つのことばの結び付きは、神の永遠のご計画を成就するうえにおいて不可欠なものです。しかも、「光」にしても、「まこと」にしても、それぞれイエス・キリストを指し示しているということです。
  • 詩42篇と詩43篇には他の詩篇にはない強烈な個性があります。そのひとつは、「慕いあえぐ」(「アーラグ」עָרַג)というこの箇所にしかない生死を分けるあえぎです。虚無の深淵に引きづり込まれようとするデーモン的な勢力との葛藤の中で、作者はその背後にある霊的事実を知らなければ、この戦いに立ち向かうことができないと感じていたのではないかと推察します。そのために作者は、神の「光」をことさらに必要と感じていたのかも知れません。神の恵みを明かす啓示の光、いのちをもたらす光を神が送ってくださらなければ、渇きという実体を正しく理解し、それに対処することはできないと考えていたのかも知れません。この「光とまこと」が、今やイエス・キリストによって私たちに遣わされています。
  • ヨハネの福音書9章で、イエスは生まれつきの盲人に「わたしは世の光です。」「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と言われました。盲人は言われるままに行って洗うと、見えるようになったのです。ここでの「シロアム」ーSiloamは、shi(ש)-lo(ל)-ach(ח)のことで、ヘブル語の「シャーラハ」(שָׁלַח)から来ています。イザヤ書8章6節に固有名詞の「シロアハ」(「シローアッハ」שִׁלֹּחַ)があります。そこではこのように語られています。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書8章5~8節
5 【主】はさらに、続けて私に仰せられた。
6 「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水をないがしろにして、レツィンとレマルヤの子を喜んでいる。
7 それゆえ、見よ、主は、あの強く水かさの多いユーフラテス川の水、アッシリヤの王と、そのすべての栄光を、彼らの上にあふれさせる。それはすべての運河にあふれ、すべての堤を越え、
8 ユダに流れ込み、押し流して進み、首にまで達する。インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱいに広がる。」

  • ここにある「シロアムの水」とは、神の助けや神の保護を象徴したものと考えられます。ダビデの統治によって表わされた神の豊かな恩寵が、静かに、やさしく、ゆるやかに、尽きることなく流れるシロアムの水にたとえられています。ところが、ユダの民はその水をさげすみ、激しい勢いで流れるユーフラテス川の水にたとえられるアッシリヤ王の援助を求めたことに対して、イザヤは叱責のことばとして語っているのです。

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