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恩寵用語Ps45

詩45篇(1)「流れ出る」 יָצַק ヤーツァク

〔カテゴリー賦与〕

  • 2節「・・あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。
    神がとこしえに祝福しておられるからだ。」
    (新改訳)
  • 2節「・・あなたのことばは優しさにあふれている。永遠にあなたは神様の祝福に
    包まれる人。」(LB訳)
  • 2節 ・・Grace is poured upon Thy lips; Therefore God has blessed Thee forever.(NASB)

Keyword; 「流れ出る」 pour out, cast, be anointd, 41:8/45:2

◆この詩45篇は王をたたえる歌ですが、この王は、「あなた」とも「雄々しい方」とも、「神よ」とも呼ばれています。ヘブル人への手紙では6~7節を引用して、はっきりとこの「王」とは御子イエス・キリストのことであると述べています。つまり、この詩45篇は神の御子をたたえる預言的詩篇と言えます。

◆この王をたたえる賛美は、作者の心の沸き立っているものが筆を通してあふれ出たものです。その最初の賛辞は、「あなたは人の子らにまさって麗しい(beauty,ヤーファー''יָפֶה)。あなたのくちびるからは優しさ(grace, חֶן)が流れ出る。神がとこしえに祝福しておられる(バーラクבָרַך)からだ。」としています。

◆「流れ出る」(関根訳「湧き流れる」、岩波訳「あふれる」、バルバロ訳「(唇に)ただよう」と訳された動詞はヤーツァクיָצַק(yatsaq)です。旧約で51回ですが、、詩篇では2回しか使われていません。ヤーツァクיָצַק(yatsaq)の意味は、

  • ①「金属を溶かして鋳造する」(出25:12, 38:27)、
  • ②「記念セレモニーとして油を注ぐ」(創28:18, 35:14)、
  • ③終末論的な意味でイスラエルの回復のために、聖霊の注ぎを象徴する意味で「水を注ぐ」(イザヤ44:3)という意味があります。これはやがて使徒の働き2章に記されている聖霊降臨の出来事によって実現されました。

しかし詩45篇2節のそれは、神に祝福されたくちびるを通して流れ出てくることばによって人々を祝福するといったイメージです。

◆確かに、御子イエスをくちびるを通して流れ出た優しさは、神の恵みに満ちたものでした。彼は「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」お方として、人々にかかわりました(マタイ12:20)。また、イエスの口から出る言葉を聞いた人々は、「その口から出て来る恵みのことばに驚いた」(ルカ4:21)とあります。私たちも日々、神が遣われた方のくちびるを通して語られた恵みのことばに養われる必要があります。なぜなら、主の恵みのことばこそ、私たちを力づけ、励まし、希望の光を与えてくれるものはないからです。

詩45篇(2)「(油を)注ぐ」 מָשַׁח マーシャフ

〔カテゴリー賦与〕

  • 7節「神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたに注がれた。」
    (新改訳)

Keyword; 「(油を)注ぐ」 anoint, 45:7/89:20

◆油を「注ぐ」と訳されたマーシャフמָשַׁח(mashach)は、旧約で70回、詩篇には45:7と89:20の2回です。89:20には「わたしは、わたしはのしもべダビデを見出し、わたしの聖なる油を彼に注いだ」とあります。この出来事は、サムエル記第一16:13に記されています。イスラエルの最初の王サウルは、神から王となるための油を、サムエルを通して注がれましたが、神への不従順のために、次の王となるダビデに油を注がれました。

◆旧約では、王、祭司、そして預言者たちがその働きを神のみこころにそって務めることができるために、神からの任職の油が注がれました。この「油を注がれた者」は、マシーアッハמָשִׁיחַ(mashiach)、すなわち、「メシア」と呼ばれます。

◆マシーアッハמָשִׁיחַ(mashiach)は旧約では39回、詩篇では10回この名詞が使われています(2:2/10:50/20:6/28:8/84:/89:38/89:51/105:15/132:10/132:17参照)。しかし、この三つ(王、祭司、預言者)の油注ぎを兼ね備えた者こそ真のメシアであり、御父が遣わされた御子イエス・キリストです。「イエス・キリスト」とは、「イエス」は「キリスト」(ギリシャ語でクリストス)という意味であり、「キリスト」は「マシーアッハ」(ヘ)、すなわち「メシア」のことなのです。

◆詩45篇に登場する「王」は、やがて来臨される御子イエスを預言していますが、その王であるイエス・キリストに、御父は他の王たちや祭司たち、および預言者たちにまさって注がれたとしています。しかもその任職の油を「喜びの油」と言っています。「喜びの油」とはなにを意味するのでしょうか。「喜びの油」―それはなによりも「神に愛された者、そしてその神に喜んで仕える霊」のことです。単に、神に仕えるというのではなく、神に選ばれ、神との深い愛のかかわりをもった権威ある存在としての油注ぎです。真の預言者としてのイエス、真の大祭司としてのイエス、真の王としてのイエスは救いのみわざを完全に実現するために、再びこの世に来られます。

◆キリストにある者はすでにみなひとしく聖なる方の油注ぎにあずかっています(ヨハネの手紙第一、2:20参照)。ですから、使徒ヨハネはこう述べています。「・・キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・また、その油があなたがた教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(ヨハネの手紙第一、2:27)。ヨハネはここで「キリストのうちにとどまることと油注ぎの関係」を教えています。


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