恩寵用語Ps59
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詩59篇 「迎えに来る」 קָדַם カーダム
〔カテゴリー愛顧〕
10節「私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。・・・」(新改訳)
同 「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。・・」(新共同訳)
Keyword; 「先に立つ」 go before, precede 17:13/21:3/79:8/119:147,148
- 語根のקדמには二つの基本的な概念があります。一つは、「意図して誰かの前に立つ」という意味、あとの一つは、「位置的に先行する」という意味です。新改訳の「迎えに来てくださる」という訳は前者の意味で、新共同訳の「先立って進まれます」という訳は後者の意味で訳されているようです。いずれも、この言葉が神の先行的・先取的恩寵を表わす動詞であることには変わりません。ちなみに、カーダム(קָדַם)は、旧約で26回、詩篇は12回と、これも詩篇特愛用語と言えます。
- 「神が・・迎えに来てくださる」(新改訳)、あるいは「神が・・先立って進まれる」(新共同訳)と訳されたとしても、「神は、私の敵の敗北を見せてくださる」(新改訳)、「わたしを陥れようとする者を神は、わたしに支配させてくださる」(新共同訳)という結果をもたらします。その意味するところは、神が敵に対して先行的に戦ってくださったので、勝利の刈り取りをすることができたという意味です。
- カーダム(קָדַם)が礼拝用語として使われている箇所としては、119篇147, 148節があります。「私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。私の目は夜明け前の見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。」とあるように、夜明け前に、誰よりも早く目覚めて神のみことばを待ち望み、みことばを瞑想するという生活は、まさに、先手志向のライフ・スタイルです。後手後手のライフ・スタイルでは得るものは多くありません。世の中で有益な働きをしている人の多くは「朝型人間」だと言われています。詩篇の作者は常に先手志向のライフ・スタイルをもっていたことが分かります。イエス・キリストご自身も超朝型人間でした。
- カーダム(קָדַם)が恩寵用語として使われている箇所は、59篇10節の他には21篇3節があります。詩21篇では「あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。」とあり、王に対する神の恩寵をたたえています。神は私たちに対しても、「恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる」方です(詩103篇4, 5節)。
- ルカの福音書15章のたとえに登場する父は、放蕩息子に対して、まさに先行的恩寵の歓迎をしています。「(放蕩息子は)立ち上がって、自分の父のもとに行った、ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」(20節) 息子を先に見つけ、走り寄ったのは父の方でした。私たちが神に選ばれ、召され、救われたのも、すべて神の先行的恩寵によるのです。