恩寵用語Ps69(1)
Ⅱ/A(42~72篇) | テキストPs69 | 原典テキストPs69 | 瞑想Ps69/A | 瞑想Ps69/B | 礼拝用語Ps69 | 恩寵用語Ps69(2) |
詩69篇(1) 「御顔を向ける」 פָּנָה パーナー
〔カテゴリー愛顧〕
16節「あなたの豊かなあわれみにしたがって、私に御顔を向けてください。」(新改訳)
16節「あなたのあわれみの豊かなるにより、わたしを顧みてください。」(口語訳)
Keyword; 「御顔を向ける、顧みる」to turn, to turn toward,
25:16/40:4/46:5/69:16/80:9/86:16/90:9/102:17/119:132
- パーナー(פָּנָה)の基本的な意味は、「ある方向に向く、行く、見る」こと。「向きを変える、向き直る、振り返る」です。礼拝用語としては、御顔を「仰ぎ見る」という意味で使われます。恩寵用語としては、「御顔を私の方に向ける」という意味で使われます。
- パーナー(פָּנָה)は、旧約では134回、詩篇では9回使用されていますが、そのうちの4回はほとんど似ています。似ている点とは、すべてが嘆願の祈りであり、「あわれみ」ということばが附随していることです。換言するならば、御顔を自分に向けていただけるということは、主の豊かなあわれみ以外のないものでもないということになります。
「私に御顔を向けて、私をあわれんでください。」(25:16/89:16/119:132)
「あなたの豊かなあわれみに従って、私に御顔を向けてください。」(69:16)
- 人はだれでもしっかりと自分に向き合ってくれる存在を必要としています。心に一物がある場合には、顔を向き合わせることはありません。顔を向き合わせることなく、無視したり、背を見せたりすることは明白な交わりの拒否的行為です。創世記4:5には「カインはひどく怒り、顔を伏せた」とあります。逆に「心に喜びがあれば顔色を良くする」(箴言15:13)ということになります。このように、「顔」つきは私たちがどのような者であるかということに関係し、私たちの感情やムードや性質など、内面で起こっていることを反映します。「顔」はその人の内側のものが映し出されるのです。
- イエスの弟子ペテロは決して自分がつまずかないことを大言壮語していましたが、いとも簡単にイエスを裏切りました。そのとき聖書には「主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う』と言われた主のおことばを思い出した。」(ルカ22:61)とあります。イエスはペテロの裏切りを予見していました。そしてペテロに対する主のまなざしは実にあわれみに満ちたものでした。このあわれみに満ちた御顔のまなざしこそ、ペテロを悔い改めに導いたと信じます。もし主の御顔が厳しく怒ったものであったなら、ペテロは立ち直れたかどうかわかりません。
- 「主は、あわれみ深く、情け深い、怒るにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒っておられない。・・主は、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる」(詩103篇8節)のです。-主のあわれみに満ちた御顔のまなざしこそ、私たちにとって救いなのです。