恩寵用語Ps8(2)
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詩8篇(2) 「〔冠を〕かぶらせる」 עָטַר アータル
〔カテゴリー愛顧〕
8:5「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」(新改訳)
8:5「あなたは人を天使たちよりも少し低くつくり、光栄と尊きとを人にこうむらせ」(関根訳)
Keyword; 「(冠を)かぶせられる」 crowned,
- 8:5の「冠をかぶらせる」と訳された「アータル」עָטַר は、5:12に「囲む」と訳されたアータルとは同音異義です。Ps5の恩寵用語を参照。「冠をかぶらせる」(crowned)の「アータル」は旧約で5回、詩篇では3回使われています。8:5を除くあと二つの箇所は以下の通り。
65:11「あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、
あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。」
103:4「あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」
- 人とは何者なのか。ダビデは本来、人間にのみ与えられている被造物としての栄光と誉れを啓示されていたようです。「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」(詩8篇5節)
- この詩篇8篇は、新約聖書ヘブル人への手紙2章に引用されていますが、若干、ことばが言い換えられています。たとえば、「神よりいくらか劣るものとし」が、ヘブル書では「御使いよりも、しばらくの間、低いものとし」(2:7)となっています。詩8篇によれば、神は、「御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」と語って、人間は上から与えられた地上の統治権があったことがわかります。この統治権は、神の代理としての統治権であり、支配権、管理権でした。ところが、ヘブル書2:8によれば、「それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。」と語り、続いて9節では「ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」(2:9~10)と述べています。
- ヘブル書の著者は、詩8篇を引用しながら、御子イエスの苦しみと死が、本来、神から人間に与えられていた栄光と誉れを回復してくださった創始者(先導者、パイオニア、先駆者)として記しています。私たちがこの創始者である主イエスに信仰によってつながるとき、私たちも、本来、神から人間に与えられていた栄光と誉れを回復することができるのです。