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詩80篇「御顔を照り輝かす」 אוֹר オール

〔カテゴリー救出〕

3節「神よ。・・・御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」

Keyword; 「輝かす、照らす、明るくする、光を与える」shine, give light, make shine 13:3/18:28/19:8/31:16/67:1/76:4/77:18/80:3, 7,19/97:4/105:39/118:20/119:130, 135/137:12

  • 「御顔を照り輝かす」(新改訳)、「み顔の光を照らす」(口語訳)、「御顔の光を輝かす」(新共同訳)と訳された動詞のオール(אוֹר)は詩篇特愛用語で、16回使われています。旧約では43回。ちなみに、ヘブル語では動詞も名詞も同じくオール(אוֹר)です。名詞の場合は旧約で121回、ヨブ記、イザヤ書の特愛用語です(詩篇19回)。
  • さて詩80篇3, 7. 19節のリフレインをみると、「御顔の光を照らす」ことと「救い」が同義であることがわかります。また詩119篇でも2回(130, 135節) オール(אוֹר)が使われていますが、特に130節では、「みことばの戸が開くと光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」とあるように、「光が差し込む」ことと「悟りが与えられる」ことが同義であることが分かります。新約の使徒パウロに注がれた「天からの光」によって、目からうろこのような物が落ちて、彼の霊の目が開かれた経験を思い起こさせます。「天からの光、啓示の光」が、救い、開眼の恵みとなっています。
  • 聖書の意味する「光」は、単なる光源としての「光」というよりも、かかわりの概念を意味するように思います。やみの中に、神が「光よ。あれ。」と仰せられると光ができた(創世記1章3節)とあるように、すべての被造物は光の中で造られています。その創造の冠として人間は造られています。自然界におけるすべては「かかわり」の中に存在します。かかわりになしに存在するものは何一つ存在しません。「神は光である」ということは、神それ自身が三位一体というかかわりの存在だからです。人間は神の光の中に創造され、存在する者として造られています。しかし人は、罪によってその光を失い、闇の支配の中に捕われの身とされました。
  • 聖書の意味する「光」とは「かかわり」を意味するゆえに「愛」と同義と言えます。「神よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」との祈りは、まさにそのことに目が開かれた者の切なる願いであり、三度も繰り返されることで、自分たちがいかに神の光なしには生き得ないことを悟った者の叫びと言えます。この光は、「闇を照らす光」「すべての人を照らすまことの光」「人を照らすいのちの光」としての神の御子イエス・キリストによって、今や照らされています。その方がこう言われました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)すでに神は「御顔の光」「愛の光」「福音の光」「恵みの光」を照らしておられます。
  • 詩80篇にはもうひとつの「光」に関する動詞があります。それは「光を放つ」と訳された「ヤーファ」(יָפַע)です。旧約では8回、詩篇では3回使われています。英語ではいずれもshine forthと訳されています。

50:2「麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。」
80:1「・・光を放ってください。ケルビムの上の御座に着いておられる方よ。」
94:1「・・復讐の神よ。光を放ってください。」

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