恩寵用語Ps82
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詩82篇「権利を認める」 צָדַק ツァーダク
〔カテゴリー統治〕
3節「弱い者とみなしごのためにさばき(שָׁפַט)、悩む者と乏しい者の権利を認めよ(צָדַק)。」
Keyword; 「権利を認める、心にかける」 maintain the rights 19:9/51:4/82:3/143:2
- 詩82篇は、神が権威を与えた者たちを召集して、正しく裁くべきことを天の会議において示唆している設定となっています(1節)。ここでは「神々」と呼ばれています。6節では神が「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ」(6節)とあります。イエスはこの部分を引用しています(ヨハネ10:34~36)。これは「神のことばを受けた人々を神と呼んでいる」のです。その者たちが正しく「さばく」(「シャーファト」שָׁפַט)とすべきことが、4回(1, 2, 3, 8節)も繰り返されています。
- 地の支配者たちによって、「地の基」である神の律法が「ことごとく揺らいでいる」ために、社会的弱者たちがないがしろにされてしまっている現実があります。そうした背景の中で、神が要求したことはそのまま神の統治理念であると同時に、神の福祉的恩寵と考えることができます。
- さて、3節と4節には社会的弱者を表わす用語が並んでいます。 ①「弱い者」(ダルדַל) ②「みなしご(孤児)」(ヤートームיָתוֹם) ③「悩む者」(アーニーעָנִי) ④「乏しい者」(ラーシュרָשׁ) ⑤「貧しい者」(極貧の者、エヴヨーンאֶבְיוֹן) これらは自分の力では決して解決できない、悲惨な状態を表わしています。神は、このような者たちを「助け出し」(פָּלַט)、悪者(神に逆らうもの、不法者)の手から「救い出し、奪い返す」(נָצַל)ようにと求めています。
- 「権利を認める」と訳された動詞「ツァーダク」(צָדַקは旧約で41回、詩篇では4回です。典礼訳では「心をかける」、岩波訳では「義しいとする」、バルバロ訳では「訴えを聞く」と様々に訳されています。ちなみに、名詞は「ツェデク」צֶדֶקで、 旧約119回、詩篇50回と詩篇特愛用語です。形容詞は「ツァッディーク」(צַדִּיק)で旧約206回、詩篇52回、箴言66回と、形容詞は詩篇、箴言の特愛用語と言えます。
- 神の律法には平等性と公平さを実現する福祉理念がはっきりと示されています。どうしてこうした理念が喪失してしまったのでしょうか。貧富の差を生み、弱者が踏みにじられるという社会ー、それは、おそらくイスラエルの国が「他の国のように」なることを求めて、繁栄という名の偶像を拝んだがゆえです。
- イスラエルの歴史において、こうした事態を招いたのはソロモン王以降と考えられます。ソロモンの豪華な宮廷生活、国家的建設事業とそれを遂行するための官僚組織に払われる莫大な人件費によって、国家財政は「慢性的な支出超過」に陥りました。そのつけはすべて国民に回ってきます。周辺諸国との同盟関係を築くことで経済は発展しましたが、次第に富める者たちはさらに富む者となり、貧しい者はさらに貧しくなりました。その格差は増大しました。これは今日の日本の経済状況、社会状況とよく似ているように思います。