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恩寵用語Ps85

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詩85篇「恵みを施す」 רָצָה ラーツァー

〔カテゴリー愛顧〕

1節「主よ。あなたは御国に恵みを施し、ヤコブの繁栄を元どおりにされました。」(新改訳)
1節「神よ、あなたの国を豊かに恵み、」(典礼訳)

Keyword;「恵みを施す、愛する、お気に召す、受け入れる」 show favor, accept, delight,
40:13/44:3/49:13/50:18/51:16/62:4/77:7/85:1/102:14/119:108/147:10, 11/149:4

  • 「恵みを施す」訳された「ラーツァー」(רָצָה)は、すでに詩44篇でも取り上げています。そこでは「あなたが彼らを愛された」と訳されています。「ラーツァー」(רָצָה)は、旧約では52回、詩篇では13回です。
  • ちなみに、名詞の「ラーツォーン」(רָצוֹן)は、旧約で56回、詩篇では13回使われています。例としては、詩5篇12節「主よ。まことに、あなたは・・・大盾で囲むように愛(רָצוֹן)で彼を囲まれます。」などです。30:5,7/51:18/89:17/では「恩寵」(この訳語は新改訳だけ)、favor(NIV)と訳されています。他には「みこころ、(御旨)」(40:8/103:21/143:10)、「豊かな恵み」(69:13)、「愛」(106:4)、「願い」(145:16, 19)というように訳されています。
  • 名詞の訳からも推察できるように、「ラーツァー」(רָצָה)は、私たちに対する神の一方的な恩寵を表わす動詞だということが分かります。そこには神の喜びがあり、豊かな恵みが溢れています。
  • 詩篇85篇における神の恩寵はイスラエルの回復のみわざ(捕囚からの解放)に表わされました。しかし、帰還した民が今や新たな試練の中にあります。そして、再び、「われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ・・てください。」(4節)。「主よ、・・あなたの救いを私たちに与えてください。」(7節) と神の救いを求めています。そして9節では「まことに御救いは主を恐れる者たちに近い」との信仰の確信を述べています。
  • 9節以降には、やがて神の御子イエス・キリストによって実現する神の恩寵用語(名詞)が対句で羅列されています。しかも、これらの恩寵の対句は、やがて互いにしっかりと御子イエスによって結び合うことが預言的に語られています。

(1)「救い」(「イェーシャー」(יֵשַׁע )と「栄光」(「カーボード」כָּבוֹד)
(2)「恵み」(「ヘセド」חֶסֶד )と「まこと」(「エメット」אֱמֶת)
(3)「義」(「ツェデク」צֶדֶק )と「平和」(「シャーローム」שָׁלוֹם )

  • 「救い」と「栄光」、「栄光」の「カーボードの」原義は「重い」というということです。つまり人間の救いは、この宇宙の中で最も重い事柄ということです。イスラエルの民がエジプトから救われたのは、イスラエルのただ中に神が住まわれるためです。つまり、「贖いによる救い」と「内住の恵み」は一つなのです。幕屋はそのことを証ししています。
  • また、「恵み」と「まこと」、および「義」と「平和」は決して簡単には結び合されないものです。たとえば、戦争はお互いの「正義」によってもたらされます。自分の立場が正義を主張し合えば、平和は成り立ちません。「まこと」(真実)は互いの約束を破らないという誠意で成り立っています。ところが、神との関係においては、神の民イエスエルは何度も神との約束を破りました。本来ならばそこで互いの関係は終りです。ところがその関係は途切れることなく続いています。それは神の「恵み」によって民の不信実が赦されたからです。このように、「恵み」と「真実」、「義」と「平和」は、本来、結び合えないものが、この詩篇では「互いに出合い」(典礼訳では「めぐり合い」)、「互いに口づけしている」(典礼訳では「いだき合う」という表現でしっかりと強く結びあっています。これはやがてイエス・キリストによって実現することになる「恩寵」(救いと栄光)を表わしています。
  • ちなみに、「互いに出合い」は「出会う」という意味の「パーガシュ」(פָּגַשׁ)のニファル態で「互いに出会う」という意味になり、「互いに口づけしている」は「ナーシャク」(נָשַׁק)です。
  • 詩篇85篇11, 12節でも、「天と地の呼応」が良い実りをもたらすことがたとえられています。「まことに、主は良いもの(ここでは「雨」のこと)をくださる(נָתַן)ので、私たちの国(地)は、その産物(実り)をもたらします(נָתַן)。まさに神の恩寵の賦与そのものが、とても「重い」価値のある救いと言えます。
  • この詩篇における「天と地の呼応」は、幕屋の外枠の柱が二本の「ひも」(綱)によって支えられていることに表されています。
    ※「ひも」(「メータール」מֵיתָר)と訳された同じことばが、天幕の「綱」として使われています。


詩篇44篇も参照


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