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恩寵用語Ps88

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詩88篇「(耳を)傾ける」 נָטָה ナーター

〔カテゴリー愛顧〕

2節「・・どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。」

Keyword;「(耳を、身を、心を)傾ける」 give ear, turn your ears 17:6/31:2/40:1/71:2/8:2/116:2/141:4

  • 「(耳を)傾けてください」という祈りの「傾ける」ということばは「ナーター」(נָטָה)で、神にも(恩寵用語)、人にも(礼拝用語)にも用いられます。旧約では215回、詩篇では29回使われています。礼拝用語として使われる場合には、神のことばに耳(心)を傾けるということであり、
  • 恩寵用語として用いられる場合には、神が人の祈りや叫びに耳を傾けられるということになります。ちなみに、「耳を傾ける」の類義語としては、「アーザン」(אָזַן)と「シャーマー」(שָׁמַע)とがあります。
  • 恩寵用語としての「ナーター」(נָטָה)は、軽い意味での「少々、お耳を拝借!!」というような意味ではありません。「天を押し曲げて降りてきてください。」(144:5) の「押し曲げる」とか、「伸ばす」(102:11)、「広げる」(104:2)、「差し伸ばされる(腕)」(136:12)と訳されるように、心だけでく、身を乗り出すようにして耳を傾けるくださる、親身になってかかわってくださるイメージをもった語彙、それが「ナーター」(נָטָה)です。
  • 詩88篇の作者の「どうか、あなたの耳を私の叫びに向けてください。」と祈る祈りの背後に、深い孤独と苦痛が表わされています。6節の「あなたは私を最も深い穴に置いておられます。それは暗い所、深い淵です。」とあるように、そこには作者の孤独感に打ちひしがれている様子が十分に表わされていると同時に、そこからその孤独がやがて「独りでいること」に変わっていく可能性をもっています。それは、様々な「偽りの結びつき」から解放されて、全く新しい形での神との結びつきを発見できるという可能性です。
  • ヘンリー・ナウエンは「孤独が独りきりでいることへ移り変わっていく動きは、あらゆる霊的生活の始まりである。」と述べています(『差しのべられる手』34頁。女子パウロ会、2002.)。「孤独であること」と「独りでいること」には違いがあります。人けのない場所で独りきりになるといたたまれない孤独感に襲われることもあれば、同時に、独りでいることの静けさを心から味わうこともできるのです。私たちはこの二つの極の間をいつも行ったり来たりする「揺れ」を経験しながら、孤独を奥深い意味での「独りでいること」にゆっくりと改めていく必要があります。
  • 特に、現代社会は孤独感のゆえに心病む者たちがきわめて多くなっています。そんな時代の中で「独りでいること」の価値を発見することは一つの召命です。詩88篇に見る作者の経験は、まさにその価値を見出させる神の計らいなのかもしれません。もし「独りでいること」の価値を見出すことができないなら、私たちは人とのかかわりの中で、まといついたり、依存したり、相手を利用したりすることになり、結果として、ますます疎外感を感じるようになっていくしかないのです。

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