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悩み多い結婚をしたホセア

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1. 悩み多い結婚をしたホセア

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【聖書箇所】ホセア書 1章1節~2章1節

ベレーシート

  • ホセア書1章にはホセア書全体がコンデンスされており、全体の序文的位置にあります。1章の1~9節までは、イスラエルの民が淫行にふけり、姦淫の罪を犯したことで、夫である神とのかかわりが壊れ、すでに「破局」の状態にあることが記されています。ところが、10~11節では、本来ならばあり得ない「回復」の預言がなされているのです。

1. 破局状態にある神とイスラエルの民

画像の説明

  • 上記の図はホセアの家族のチャートです。その家族のそれぞれの名前は以下の意味があります。三人の子どもたちの名前は神のさばきを表わすものとして、神自ら命名しています。

●夫の「ホセア」は「主は救い」という意味。
●妻の「ゴメル」の動詞「ガーマル」(גָּמַר)は「(失敗して)断たれる」という意味と、「(主によって)成し遂げられる」という意味の二面性をもった語彙。

●第一子の息子「イズレエル」(יִזְרְעֶאל)は、その語幹である「ザーラ」(זָרַע)で本来「種を蒔く」という意味ですが、他に二つの意味を持っています。一つは「散らされる」という意味ともう一つは「実を結ぶ」という意味です。前者はさばきとしての離散を意味し、後者は神のあわれみによって回復することを意味しています。1章4~5節の「イズレエル」は前者の意味で使われ、11節の「イズレエル」は後者の意味で使われています。このように一つの動詞に、反意的な意味を、あるいは両義性を有するのがヘブル語の特性です。脚注

●第二子の娘「ロー・ルハーマー」(לֹא רֻחָמָה)は「あわれまれぬ子」「愛されぬ者」という意味で、それは「わたしはもう二度とイスラエルの家を愛することはなく、決して彼らを赦さない」(6節)という神のことばを意味しています。

●第三子の息子「ロー・アンミー」(לֹא עַמּי)は「わたしの民ではない」という意味。いずれも「ロー」(לֹא)は強い否定を表わします。ただし、原文では「ロー」(לֹא)が短縮されて 「ロー」(לֹ)となっています。

  • ホセアとゴメルの夫婦関係は、神とイスラエルの関係の比喩となっています。旧約における神とイスラエルの民は、エジプトを脱出した後、シナイ山で合意による結婚の契約を交わしました。ところが、ホセアの妻ゴメルが姦淫の女と呼ばれているように、イスラエルの民も同様に姦淫の民なのです。
  • ちなみに、新約におけるイェシュアと教会の関係は、結婚を前提とした花婿と花嫁の関係です。ユダヤの花婿と花嫁は婚約であっても結婚した者と見なされますが、厳密な(実質的、法的な)意味での婚姻は、花婿が花嫁を迎えに来てからです。つまり、携挙の時が結婚式で、そのあとメシアの地上再臨の時に婚宴が行なわれるのです。

2. 「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ」との主の命令

【新改訳改訂第3版】ホセア書1章2~3節
2 【主】がホセアに語り始められたとき、【主】はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は【主】を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」
3 そこで彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって、彼に男の子を産んだ。

  • イスラエルの民は、夫である主なる神を捨ててバアルの神に心を寄せ、不貞の妻となっていました。ホセアの妻となるゴメルも同様に、やがて不貞の罪を犯します。ところが神である主は、ホセアに対して「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国(北イスラエルの民)は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」と命じられたのです。これがホセアの召命です。
  • さて、ここで解釈の難しい点は、「姦淫の子ら」とはホセアとゴメルとの間に出来た子どもたちなのか。あるいは、ゴメルと姦夫との間に出来た子どもたちであるのかという点です。聖書を文字通りに解釈すれば、「姦淫の子ら」とは、妻ゴメルと別の夫との間に生まれた子どものように解釈できますが、3節を見ると「彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって、彼に男の子を産んだ」とあることから、ホセアの元に戻ったゴメルとの間に出来た子どもたちであるとも解釈できます。子どもたちの命名が主によって命じられていることから、おそらく前者の解釈の方が自然のような感じがします。ともかく、ホセアとゴメルとの結婚には解釈の難しい点が多くありますが、以下のように理解しておくのが最善だと思われます。

ホセアは、ゴメルのことをよく知らずに結婚しましたが、二番目の子どもの誕生のころから、彼女が不貞の妻であることを知ったようです(1:2~9)。そこでホセアはゴメルと離婚し、彼女は堕落して乱れた生活をするようになります。長子のイズレエルを除く、後の二人の子どもの名前を見ると、だれの子であるかが分かりません。しかしホセアは神の愛を思い、憎しみ(2:2)を克服して、ゴメルを愛するようになります。そして彼女を捜し出して再婚したのです(3:1~5)。

  • 神がホセアに対して命じたことは、神がイスラエルの民に対して将来なされることの比喩的な「型」となっているのです。ホセアは、姦淫の女と子どもを引き取るという痛みを通して、神である主の痛みを共有するという実物教育を受けた特別な預言者と言えます。

3. 主の回復の預言

  • ところで、新改訳聖書では1章11節で終わっていますが、回復の預言は1章10~11節、そして2章1節にまでまたがっています。そこに記されている預言に注目してみましょう。

【新改訳改訂第3版】ホセア書1章10~11節、2章1節
10 イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。
11 ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。

2:1 あなたがたの兄弟には、「わたしの民」と言い、あなたがたの姉妹には、「愛される者」と言え。


●ここでは「イズレエルの日」に、つまり神が蒔かれた種が多くの実を結ぶように回復される日に、第三子の「ロー・アンミー」が「わたしの民」に、第二子の「ロー・ルハーマー」が「愛される者」として完全に回復されるのです。2章1節に「~と言い、・・~と言え」とありますが、それは預言的完了形の命令です。つまり、完全にそのようになるゆえの命令形(「~と言え」)だということです。

  • ここで預言されているのは、将来のメシア王国において成就する回復の預言です。
    その内容は以下の通りです。

(1) アブラハムに対する「子孫繁栄の約束」が成就する。
(2) ユダとイスラエルの人々が「ひとりのかしら」、すなわちメシアによって一つに集められ、すべてが「神の民」となり、神に「あわれまれる者」(=愛される者)となる。
(3) 「イズレエルの日」に、神が蒔かれた多くの種が実を結ぶようになる。



脚注

●かつてイズレエルの町で,アハブとその妻イゼベルによって,イズレエル人ナボテの血が流され、エフーにより、イゼベルへの血の報復とアハブの家へのさばきが下された(Ⅰ列21章,Ⅱ列9章)。それに対する神のさばきの象徴として、この名がつけられたのである(「新聖書辞典」いのちのことば社)。

2015.3.3


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