****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

惜しみなく与える愛

8. 惜しみなく与える愛 חֵפֶץ

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(1) 「ヘセドの愛」-これは契約的な愛です。双方に責任を伴った愛を意味します。結婚がよい例です。一方がベルティを犯せば、その愛の関係はそこで終わることもあり得ます。しかし神の契約の愛である「ヘセド」は、人間が神の愛を裏切ったとしても、そう簡単には終わらせません。どこまでも神の側の愛は変わらない「不変的な愛」constant loveをもって、「確かな愛」steadfast loveをもって、決して「裏切られることのない信頼すべき愛」unfailing loveをもって、かかわり続けます。

(2) 「アハヴァーの愛」-これは選びの愛で一方的です。「契約の愛」を根底から支えている無条件の愛です。いずれの聖書も「愛」と訳しています。これがギリシャ語に訳されると、「アガペー」となります。神がイスラエルの民を見捨てないのは、この選びの愛が根幹にあるからです。「アハヴァー」は一方的な愛です。人が神に対してこの言葉を用いるときには、きわめて主体的な自立した信仰を表わす語彙となります。つまり、神を選ぶという愛は、神に愛されて神を愛する、神に選ばれて神を選ぶというという主体的決断に基づく服従の意志を意味します。

(3) 「ヘーンの愛」―「なにゆえに、そんな親切にしてくださるのですか」という、本来は受けるに値しない者に対する神の好意を意味します。神から特別にひいきされる愛、特別に目をかけられる愛です。

(4) 「ヘーフェツの愛」―この愛は、人が神になにかを願って求めることに対して、神が喜んで良いものを惜しみなく与えようとする愛です。そもそも天の父はその子どもたちに良いものを惜しみなく与えることを何よりも喜びとされる神です。人が自分の欲望や私利私欲のために求めるものに対してではなく、神のみこころにかなって願い、求められることに対しては、神は黙っておられない方なのです。与えることを何よりも喜びとされる神、この神の惜しみなく与えようとする愛こそ「ヘーフェツの愛」なのです。


1. シェバの女王が求めたものは何でも「望みのままに与えた」ソロモン

  • イエスは「求める者には与えなさい」と言われましたが、そもそも天の父がそのようなお方だからでした。天の父は求める者には惜しみなく良いものを与えることができる方です。ですから、天の父を自分の父とする者にはそれができるということを意味しています。
  • 旧約時代のイスラエルの王の中で最も知恵のある王はソロモンだと言われていますが、あるときソロモンに知恵があるということを伝え聞いたシェバの女王がはるばる難問をもってソロモンを試そうとして彼のところへやってきました(Ⅰ列王記10章)。そして彼女は心にあったすべてのことをソロモンに質問したのです。するとソロモンは彼女のすべての質問を説き明かしました。「彼女に説き明かせなかったことは何一つなかった」と記されています(10:3)。
  • シェバの女王はソロモンの知恵に驚いただけでなく、彼が建てた宮殿、そして食卓の料理、そこに列席する者たちに仕えている従者たちのその態度とその服装などを見て、息も止まるばかりであったとあります。彼女はソロモンに言いました。「実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは・・」と絶賛しただけでなく、「あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主は、ほむべきかな。」とも言ったのです。
  • 相手を称賛することばだけでなく、彼女はソロモン王にたくさんの宝物を贈物として携えてきたのです。「ソロモン王は、その豊かさに相応したものをシェバの女王に与えたが、それ以外にも、彼女が求めた物は何でもその望みのままに与えた。」
  • 「望みのままに与えた」という表現の中の「望みのままに」という部分に、今回のキーワード「ヘーフェツ」が使われているのです。彼女が欲するままに、要求するままに、望みのままに、ソロモンは喜んで与えたのです。これが「ヘーフェツの愛」で、「惜しみなく与える愛」です。
  • こうしたソロモンの「喜んで惜しみなく与える愛」のルーツは、実は主なる神にあるのです。ソロモンが王になりたての頃、主は夢の中でソロモンに現われてこう言ったのです。「あなたに何を与えようか。願え。」(Ⅰ列王3:5) 口語訳は「求めなさい」、新共同訳は「何事でも願うがよい」と訳されています。
    ソロモンはこれに対してなにを願ったかと言うと、王として「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心」でした。この願い事は「主の御心にかないました」。つまり、「主がこの願いをことのほか喜ばれた」という意味です。
  • そして主はこう言われました。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ自分のために(つまり、私利私欲のためではなく王としての)正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与えると言われました。このようにして神はソロモンにすぐれた知恵の心、判断する心を与えたのでした。ソロモンのすぐれた知恵は、ソロモンの求めに応じて、いや求めた以上に、実に惜しみなく神が与えられたものであったのです。
  • こうした経験がソロモンをして、シェバの女王が求めたものは何でも喜んで望みのままに与えることをしたのだと言えます。ここで重要なことは、シェバの女王に対するソロモンは、そのまま私たち人間に対する神の「惜しみなく与える愛」のたとえとなっているということです。ソロモンがシェバの女王に「望みのままに与えた」その源泉が、神にあるということです。

2. 求めること、要求することを待っておられる神

  • イエスはこんな話をされました。「自分の子どもがパンをくださいと言うときに、だれが石を与えるでしょうか。子どもが魚をくださいと言うのに、だれが蛇をあたえるでしょう。そんな親はいません。たとえ悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えるのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。必ず、求めるならば、良いものを下さるのです。だから、「求めつづけなさい。そうすれば(必ず)与えられます。捜し続けなさい。そうすれば、必ず見つかります。たたき続けなさい。そうすれば必ず開かれます。」と言われました。
  • 神は私たちになにが必要であるか、私たちが求める前からご存じです。だからといって、私たちが求めることもしないで与えられたら、私たちはそれを感謝することはないでしょう。むしろ、私たちの方から私たちの必要を神に願い求めるなら、神は内心、ことのほか喜ばれて、求めた者に対して惜しみなく与えようとするのです。そしてそれを感謝している子どもを見て、さらに喜ばれるのです。神の方としては与えたくて、与えたくて仕方がないのですが、相手(私たち)が求める前に与えて意味がありません。与えたくて、与えたくて仕方がないですが、神は人から求められることを待っておられる神なのです。
  • つまり、願い事をかなえてくださるという神の愛です。ただし、その願いは神のみこころにかなうものでなければなりません。私利私欲や自己中心的な願い、悪い動機で願う願いは神のみこころにかなうものとは言えません。もし私たちが神から与えられた永遠のいのち、つまり神との交わりのいのちを深めていくならば、自分の願いが神のみこころにかなうかどうかが次第によく分かるようになっていくと信じます。
  • この真理は、実は、聖書の中に驚くほど多く語られているのです。いくつかご紹介しましょう。
  • ソロモンはシェバの女王が求めたものはなんでもその望みのままに与えましたが、その彼女が「求めた」という動詞がギリシャ語に翻訳されるとき、「アイテオー」αίτέωということばが当てられています。まずはイエス様自身が最後の晩餐に弟子たちに語ったことばをみてみましょう。

ヨハネ14:13~14
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」

ヨハネ15:7
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたたがたがほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」

ヨハネ15:16
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、任命したのです。・・・それは、・・あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」

ヨハネ16:23~24
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」

ヨハネ16:26~27
「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。・・・それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。」

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  • ヨハネの第一の手紙5章14節も見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】Ⅰヨハネ
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをする(動詞αίτέω現在形)なら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

  • αίτέωはマタイ7章の7,8,9,10節にも使われています。「求める、~してくださいとお願いする」ことばです。ルカの福音書では11章9~13節までの各節にも使われています。求める人たちに対して、天の父はどうして良いもの(ルカは聖霊と明言しています)をくださらないことがありましょうかとイエスは言われました。

むすび

  • あなたは自分の神がご自分の子どもに、惜しみなく良いものを与えることを喜びとする神であることを信じていますか。自分が神の子どもであるためには、キリストとのかかわりをもっていることが必要です。キリストこそ私たちを神の子どもとしてくださる方です。もし私たちがキリストにある者であるならば、天の父は、私たちに良いものを与えたくて、与えたくて仕方がないのです。そのためには子どもである私たちが求めなければならないことを今日、心に留めることができますように。もし私たちが願わなければ、与えられることはないのです。「求めなさい。そうすれば必ず与えられます。」悪い動機ではなく、神のみこころにそって大胆に願いましょう。そして神から良いものを豊かに与えられる人生へ導かれていきたいと思います。

2012.7.29


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