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愛の賛歌ー愛は死のように強く

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

22. 愛の賛歌ー愛は死のように強く

【聖書箇所】 8章5〜7節

ベレーシート

  • 8章4節の花婿のことば、「エルサレムの娘たち。私はあなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。」(2:7, 3:5)の反復句(リフレイン)は、8章5節以降でいよいよ花嫁の愛が開花します。それを暗示させる最初のことばは、「エルサレムの娘たち」の声の中にあります。「自分の愛する者に寄りかかって、荒野から上って来るひとはだれでしょう。」ーその「ひと」は彼女を意味する代名詞「ゾット」(זֹאת)で、花嫁のことです。
  • 「荒野」とは文字通りの意味ではなく象徴的な意味をもっています。つまり、「荒野」(「ミドゥバール」מִדְבָּר)とは、神とイスラエルの民がそうであったように、愛のきずなが訓練され、強められて確かにされる場所です。そこから、花嫁が花婿(の腕)に寄りかかって上って来るのです。「寄りかかる」と訳された語彙は旧約聖書でこの箇所にしか使われていない「ラーファク」(רָפַק)という動詞の分詞で、しかも強意形のヒットパエル態です。これは自分の意志による主体的・自発性の強い意味を表わします。花嫁の花婿に対する愛がそうすることを望んでいるからです。控えめではなく、花嫁の積極的な面が前面に打ち出されているのです。ちなみに、「寄りかかる」とは「腕をくんで」と解釈することもできるし、「(花婿に)抱きかかえられて」とも解釈できます。なぜなら、原文直訳は「彼女のいとしい人の上に(「アル」עַל־)」となっているからです。

1. 私(花嫁)をあなたの胸に、私をあなたの腕に

【新改訳改訂第3版】雅歌8章6節
私を封印のようにあなたの心臓の上に、
封印のようにあなたの腕につけてください。
愛は死のように強く、
ねたみはよみのように激しいからです。
その炎は火の炎、すさまじい炎です。


●6節には前半と後半にそれぞれ二つの同義的パラレリズムがあります。前半の部分は花嫁の愛の訴えです。後半部分はその理由について述べています。ですから、それを示す「キー」(כִּי־)で始まっています。

●「封印」と訳された「ホーターム」(חוֹתָם)は、むしろ「印形、印鑑、ハンコ、印章、紋章」といった意味です。また「心臓」とは「レーヴ」(לֵב)で「心」を一般に意味しますが、印章はしばしば首に掛けられてその先端部分が心臓辺りにあったことから、フランシスコ会訳では「胸」と訳しています。印章は今日の印鑑(実印)と同じように、とても大切なものであったはずです。花嫁は花婿に対して、自分のことをそのように大切にしてくださいと訴えているのです。また、花婿の腕にそれを大切につけてくださいとも願っています。「つける」は「スィーム」(שִׂים)という動詞です。新共同訳の「わたしを刻みつけてください」は少々イメージが強すぎます。

●花嫁の愛の告白の根拠(理由)は、「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」とあるように、「愛の強さと激しさ」を秘めているからです。
「愛は・・強い」・・「アッザー・アハヴァー」(עַזָּה אַהֲבָה)

「ねたみは・・激しい」(「カーシャー・キヌアー」קָשָׁה קִנְאָה)、「キヌアー」(קִנְאָה)は動詞「カーナー」(קָנָא)の名詞形で、神に使われる場合には「ねたみ」だけでなく、神の「熱心、熱情、熱意」をも意味します。

●新改訳は「ねたみはよみ(「シェオール」שְׁאוֹל)のように激しい(「カーシャー」קָשָׁה)からです」
フランシスコ会訳は「嫉妬は地獄のように無慈悲だからです」
口語訳は「ねたみは墓のように残酷だからです」
新共同訳は「熱情は陰府のように酷い」と訳しています。

●「愛」と「ねたみ」は裏表の関係です。しかしいずれも、それはすべてのものを呑み込んでしまう「死」と「よみ」のように強いのだと花嫁は強調しています。

「その(愛の)火の炎はすさまじい。」
●「すさまじい炎」と訳された原文の直訳は「主の炎」です。ヘブル語では最上級を表わす形容詞がないために、「主」を意味する「ヤー」(יָה)ということばを使うことで、「すさまじい」という意味になるのです。


2. 不可抗力の愛、至高性の愛

  • 7節の前半にも同義的パラレリズムが使われています。

    【新改訳改訂第3版】雅歌8章7節
    大水もその愛を消すことができません。
    洪水も押し流すことができません。

    もし、人が愛を得ようとして、
    自分の財産をことごとく与えても、
    ただのさげすみしか得られません。


    ●神によって定められた花婿と花嫁の愛は、どのような大水も洪水も、これを押し流したりすることはできないばかりか、どんなに多くのお金や財産によってしても、手に入れることが不可能な愛なのです。もし、だれかが自分の持つ富のすべてを差し出したところで、完全にさげすまれるだけなのです。お金では買えないもの、その最たるものが愛です。


2015.9.18


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