****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

揺り動かされない御国

第29日 「揺り動かされない御国」 

はじめに

  • 今朝は、天国についてのお話です。近年、キリスト教と関係なくても、死んだ人は天国に行っていると信じて話しているのをよく聞きます。仏教式の葬式をしても、故人が行くのは極楽ではなく、なぜか天国なのです。では「天国」とはどんなところなのかと尋ねたとしたら、おそらく答えられないと思います。聞いたことがありませんが・・。キリストを信じて教会にかよっている人でも、おそらく天国についてよくわからないのではないかと思います。
  • 実は、「天国」ということを説明するのはとてもとても難しいのです。まして一言で説明するのは至難の業です。しかし、今朝、私は皆さんに一言で説明したいと思います。聞き逃すともったいないですよ。ですから、よーく、耳を開いて聞いてくださいね。「いいですか。」では、説明しますよ。一度しかいいません。聞き逃さないようにしてください。天国というのは、・・・・「とてもすばらしいところです。」 

1. 聖書の一貫したテーマは「御国の建設」

  • どんなにすばらしいかを説明すると、とてもむずかしくなってしまう、それが天国なのです。イエスが30年の沈黙を破って公の生涯へと入られた時、その第一声は何だったと思いますか。それはこうです。

    ●「悔い改めなさい。天の御国は近づいた」と言われました。(マタイ4:17)
    ●マルコの福音書では「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
    (そして)
    ●「神の国とその義を第一に求めなさい。」(マタイ6:33)

  • 「天の御国」「神の国」「その=神の国」「御国」・・日本語ではみな違った表現をしていますが、原語のギリシャ語も英語もひとつの言葉です。ギリシャ語では「バシレイア」(βασιλεια)、英語では「キングダム」(Kingdom)という言葉です。「キングダム」とは「王国」という意味です。聖書の言う天国というのは、王国のことです。
  • 天の御国とは、天の王国(the kingdom of heaven)、神の国とは、神の王国 (the kingdom of God)のことです。「神の国とその義を第一に求めなさい」と言われたイエス様は、この世においては、神の国のことだけを求め、自らそのことについて話されました。その義とは、神の国に入るための義、すなわち、神の国の王との義、つまり、その王とのかかわりは、私たち人間の考える義ではだめなのです。どんなに頑張ってよいかかわりを得ようとしても、それでは神の国の王である方のお心にとまることはできません。よって、神の国に入ることはできません。人間が考える義ではなく、神様が備えてくださる義、つまり、神の最終的な切り札である神の御子イエスを信じることによって与えられるかかわり、つまり、神の義―それが神の国に入るための唯一の正しいかかわりであって、他にはありません。その義を神様自ら私たちにプレゼントしてくださったというのが「福音」なのです。この福音というプレゼントを受け取らない限り、私たちは「天国」とはなんらかかわりを持つことができないのです。
  • 死ねばみな行けるところが「天国」であるということは決してありません。イエス・キリストという神からのプレゼントを信じて受け取った者だけが、イエス・キリストを信じるというかかわりを持った者だけが、天国行きの切符を手にするのです。その天国がいかにすばらしいところか、それを得ることはこの世のどんな宝にもまさる価値あるものであるか、一人でも多くの方にそれを知らせ、それを得るように招くために、イエスは来られ、多くのたとえ話や多くのみわざを通して、私たちに教えようとされたのです。ですから、私たちはイエスの語ることばに耳を傾けなければなりません。イエスのなされた奇しいみわざに目を向けなければなりません。
  • イエス様が弟子たちに教えられた「主の祈り」というのがあります。
    「天にまします我らの父よ。」と呼びかけますが、呼びかけて何を祈るかと言えば、「御国が来ますように」です。「みこころが天になるごとく、地にもなりますように」です。「みこころ」とは神の壮大なご計画のことです。神の壮大なご計画とは「御国の実現」「御国の完成」です。そのためにイエス様が父から遣わされました。神が王として君臨し、治め、支配するところ、そこが、御国、すなわち、天国なのです。
  • その天国(Kingdom)は、イエス・キリストの到来とともにすでに始まっています。神の御国の建設のシナリオにおいて、ぐっと完成が近づいたということです。つまり、最終段階がはじまったという宣言―それが「天の御国は近づいた」という意味です。聖書はこの最終段階のことを「終わりの時代」と言っています。つまり、新約聖書に記されていることは「終わりの時代」に関することなのです。
  • 神の国の完成のシナリオによれば、私たちは今、「終わりの時代」に生きてるのです。このことをよく理解する必要があります。

「神の国の完成までのシナリオ」

〔旧約聖書〕
(1) 天地創造
(2) 堕落の歴史
(3) 救いの担い手アブラハムの召命
(4) 約束の地への侵入
(5) 王制時代
(6) 捕囚時代
(7) メシア待望の沈黙の時代

〔新約聖書〕
(8) イエスの天の御国到来の宣言
(9) イエスの十字架と復活の出来事
(10)聖霊降臨と教会時代
(11)教会による福音宣教の時代
(12)キリストの再臨と千年王国
(13)最後の審判
(14)神の国の完成としての新天新地

  • 天国(天の御国、神の国)の建設を完成させるために、イエスは
    ①すでに 来られました・・二千年前に
    ②しかし未完成なのです―なぜなら、御国に生きる者たちを神は今も捜しておられるからです。
    ③そして、やがては完成した御国がきますーそれは同時に天国の門が閉じられるときでもあります。また、完成される御国に不必要な一切のものをきよめ、さばくための審判が行われる時でもあります。でもそれはまだ来ていません。しかしその時は必ず来るのです。
  • 神が王の王として支配する国―それは神のあわれみと恵みが豊かに支配している王国です。

2. ヘブル人への手紙が描く「天国の風景」

  • ところで、私の説教はヘブル人への手紙の講解説教です。
    今朝のヘブル書のテキストは12章18~29節までを扱おうとしています。この部分には対照的な二つの絵があります。
  • 一つの絵は、「シナイ山に立つ人々」です。これはかつてイスラエルの民がシナイ山の麓で、神と契約を結んだ時の光景です。彼らはエジプトを脱出して紅海を奇蹟的に渡り、荒野を旅し、その旅の中で水が与えられたり、マナという食べ物が与えられたり、また、アマレクという敵との戦いにおいて勝利を与えられたりという経験を通して、自分たちを導いてくださった神が「生存と防衛の保障」を与えてくださる神であることを経験します。その後に、民はシナイ山で神と合意に基づく結婚をするわけです。このときに結んだ誓いが「シナイ契約」と言われます。
  • もう一つの絵は、「(天における)シオンの山に立つ人々」です。これは神の最終的な御国の完成の時の光景です。
  • この二つの光景を対照的にしている「ことば」があります。そのことばは「近づく」ということばです。

「二つのピクチャー」

第一のピクチャー


「あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。」(Heb 12:18~19)


  • イスラエルの民がシナイ山で神と契約を結んだ時の光景は、とても恐ろしいものでした。それは、モーセさえも「私は恐れて、震える」と言ったほどです。主の臨在は人々に圧倒的な恐れを感じさせました。しかしヘブル人への著者は「あなたがたは・・に近づいているのではありません。」と断言しています。

第二のピクチャー


「あなたがたは、シオンの山、 生ける神の都、天にあるエルサレム、 無数の御使いたちの大祝会に 近づいているのです。」(12:22)


後の方のピクチャーには、耳慣れない言葉が数多く出てきますので、読むだけではよくわからないと思います。後の方のピクチャーは22節のみならず、実は24節まで続いているのです。とても長い文章で、その内容も多く含まれているので、脳の容量がいっぱいになってしまうほどです。ギリシャ語の本文では、ここの箇所は動詞が使われているのは一つだけです。その一つというのは、「近づいている」という動詞です。

『近づく』という歴史観―このことばは、歴史には始まりがあり、終わりがあるということー神の救いの歴史―救済史観―は、日本人には全く欠落しています。循環的な歴史観をもっている人もいます。同じことが繰り返されるという歴史観です。しかし、聖書には歴史の目標と方向がはっきりとしていて、神のプログラムが示されています。聖書を読んでいくと、世界の歴史の運命は神の御手の中にあるのが分かるようになります。

「近づいている」-それは神の御国の完成が近づいているという意味です。聖書の原文ではこの動詞の後に一体何が近づいているのか、八項目が並べられているのです。構文が単純です。

① シオンの山
② 生ける神の都、天にあるエルサレム
③ 無数の御使いたちの大祝会
④ 天に登録されている長子たちの教会
⑤ 万民の審判者である神
⑥ 全うされた義人たちの霊
⑦ 新しい契約の仲介者イエス
⑧ アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血

  • このように、日本の聖書では八項目も並べられると、途中で何がなんだか分からなくなってしまうからか、内容を二つのグループに分けて、それぞれに「近づいている」ということばを便宜上補っています。しかし、実際に使われているのは「一つ」です。
  • これらが「近づいている」というのです。これらがヘブル人への手紙が描く「御国、すなわち、天国」です。よけいに、天国のことが分からなくなってしまいそうな表現が並んでいます。しかし説明されればきっと理解できる内容だと信じますので、不十分かもしれませんが、あえて説明したいと思います。

(1) あなたがたは「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会、天に登録されている長子たちの教会」に近づいている

  • 前述の①②③④はそれぞれ密接なつながりを持っています。最初に登場する「シオンの山」に「あなたがたは近づいている」という意味は何でしょう。シオンの山は、もともとエブス人の要塞でした。B.C.1000年頃、ダビデ王がそこを攻め取り、王の都としました。ダビデはそこに神の契約の箱を据え、そこをイスラエルの宗教的中心としたのです。こうしてシオンは地上における神の臨在の場となりました。
  • 「主がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都」(Ⅰ列王14:21)として聖書に記されています。
    「主は、・・主が愛されたシオンの山を選ばれた。主はその聖所を高い天のように、ご自分が永遠に基を据えた堅い地のようにお建てになった。」(詩篇78篇68, 69節)ともあります。
  • 後に、ダビデの息子ソロモンがシオンの北側の丘に神殿を建てて、聖なる都を据えたとき、シオンの名はそれより広い範囲を含む拡大された意味で用いられました。そこで、シオンはエルサレムと同義語となりました。そのエルサレムは、毎年三度、イスラエル中から人々が神を礼拝するために集まってきました。
  • 実は、この地上のシオンがイスラエルの部族の中心的な集合場所・礼拝の場所であったように、天のシオン、すなわち「生ける神の都」、「天にあるエルサレム」は、新しい神の民イスラエル(そこには異邦人であるキリスト者もキリストを信じるユダヤ人も含めた人々)が集う中心的な場所なのです。それゆえ、詩篇122篇では預言的にこう記されています。
    「エルサレム、それは、よくまとめられた町として立てられている。そこに多くの部族、主の部族が上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために」(詩篇122:3, 4)
  • その場所は、「無数の御使いたちの大祝会」が行われる場所です。「無数の御使いたちの大祝会」とは何でしょう。イエスは、御使いが大喜びをしている光景のことを話された箇所があります。いなくなった一匹の羊の話、無くなった一枚の銀貨を捜して見つけた話がありました。念入りに捜して、見つけたら、友だちや近所の人々を集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。私たちの世界ではそこまでしないとしても、神の世界ではそうするのです。そして、イエスは次のようにつけ加えて言われました。
    「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ15:10)
  • 御使いの存在は私たち人間に仕えるように神によって創造されました。ですから、私たちが悔い改めて神のもとにかえるなら、御使いたちはこぞって天で喜びの声を上げながら大祝会を催しているのです。天におけるセレブレイト集会です。まして、時が満ちて天国が完成する暁には多くの神の子たちがいるわけですが、そのひとり一人に仕えている御使いたちも共に喜ぶのは当然のことです。「無数の御使いたちの大祝会」という表現の背景には、無数の神の子どもたちが神を礼拝し、神を賛美している光景を意味しています。私たちは間違いなく、そこに近づいているのです。
  • しかもそこで神を礼拝し、神の子であることを永遠に楽しみ、喜ぶのは個人的なことではありません。四番目の項目にある「天に登録されている長子たちの教会」とあるように集団的です。長子と言うことばの意味は、「神のご計画である御国の建設に携わることのできる権利を持つ者」という意味です。エサウはこの権利を低く見ていました。神のご計画に携わることのできる身分と資格を一杯の食べ物で弟のヤコブに売ってしまうほど、大切に考えていませんでした。ですから、彼はそれを失ってしまったのです。エサウは地上ではそれなりの祝福を神からいただきましたが、神とかかわる永遠の権利を失ったのです。
  • 天におけるそうした長子たちが集う教会では、共同体です。そこでは、あの人が行くなら、私は行かないと言ったレヴェルの低い心は存在しません。すべての者が神によってきよめられていますから、この世での敵対意識とか憎しみといった感情はそこには存在しないのです。ですから、安心してください。天国とは、あの人がいる天国なら私は行きたくないと思うようなところではないのだ、ということを。憎しみも、心の傷もすべていやされているところ、そこが天国です。苦しみも涙も一切ないところです。ですから、澄んだ心で、永遠に喜びをもって、互いに愛しながら、神を礼拝することができるのです。そんなすばらしい世界が近づいているのです。地上で自分と親しくしていた方と会うことはできるでしょうが、それだけの場所ではないのです。

(2) あなたがたは「万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血」に近づいている

  • 後半の部分の説明が残っていますが、今朝はこの辺で十分でしょう。この世におけるシオン、エルサレム、そしてイエス・キリストの教会は、すべて天にある完全な実体のコピーでしかありません。
  • 旧約時代、荒野を移動する地上の幕屋が、天にある聖所の型にしたがって組み立てられたように、この世のエルサレムの神殿も都も、永遠に存在する原型の摸写(コピー)です。ダビデが存命中、息子ソロモンに神殿の仕様書を渡したとき、そこには神殿のありとあらゆる箇所やそこで使われる器具など、またそこに使われる材料(金銀)の目方に至るまで詳細にわたって記されていました。ダビデはこの仕様書のことを「私に与えられた主の手による書き物」と述べています。ソロモンの仕事は、その書き物―すなわち、仕様書―に従って、すべての仕事を賢く行うことでした。
  • 「よくまとめられた町としての地上のエルサレム」は、実は、その原型は天にあるエルサレムであり、地上のエルサレムは天にあるエルサレムのコピー(摸写)として建てられたのです。私たちに近づいているのは、コピーではなく、本体そのものです。神の国、天の御国の本来の完全な姿が近づいているのです。
  • キリストが地上再臨される時(千年王国)には、この地上にその本体の100%ではありませんが、かなりの部分の本体が実現します。そこでは旧約時代、新約時代を通じて神を信じて生きて来た人々が死からよみがえります。それまでは実は眠ったままの状態です。「全うされた義人たちの霊」とは、旧約時代、まだキリストに出会わなかった信仰者たちです。彼らもよみがえります。なぜなら、アブラハムもモーセもダビデも、「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。」そこは彼らの本当の故郷であり、その天の故郷にあこがれながら、地上では信仰の旅人として、寄留者として生きていたのです。
  • また、神は「万民の審判者である神」です。完全な神の御国の完成の時には、神の世界にそぐわないすべてのものはさばかれ、火で焼かれます。神の最終的な審判です。それは千年王国時代を経た後の出来事ですが、それも近づいています。もし、私たちがキリストという仲介者を持っていなければ、救いの保障はありません。まさにキリストは「新しい契約の仲介者」なのです。そして、イエス・キリストが十字架で流された血潮は、私たちが最終的に、完全に贖われる保障なのです。「アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血」と表現されています。「アベルの血は復讐を叫ぶ血です。」しかし、イエス・キリストの血潮は、私たちのすべての罪を赦し、私たちをきよめる愛のしるしです。それが完全な形で表わされる時が「近づいている」のです。この確かな確信、確かな福音を信じて生きることが、天に国籍を持つ者の希望であり、生きる力となるのではないでしょうか。
  • 今朝のヘブル人への手紙のテキストの最後にある箇所を読んで終わりにしたいと思います。新改訳と一部リビングバイブルを用いてお読みします。
  • 「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。また、きよい恐れをいだいて神に仕え、神をお喜ばせしようではありませんか。」

おわりに

  • さて、大切なことは何でしょう。ここからが大切なことです。今朝、聖書のみことばを聞いて私たちがどう受け止めるかが、神を礼拝する上での正念場です。
  • 私は神のみこころである「御国の完成というシナリオ」の中で、御国の民として確かな希望をもって生きているだろうか。それはゆっくりと、しかも確実に近づいています。やがては完全な姿を現わして本当の天国が完成するのです。そこに私たちは迎えられるのです。



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