新しい時代の幕開けとしての聖霊
〔D〕ルカ独自の記事
4.新しい時代の幕開けとしての聖霊
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はじめに
- 共観福音書の中で、イエスの生涯と聖霊の関わりを特に印象的に書いているのはルカである。ルカはその福音書の最後の部分を、父の約束を待つようにというイエスのことばをもってしめくくっている(24章49節)。使徒の働きは、ルカの福音書の続編として、今や聖霊がキリストの働きの後継者としてその働きを受け継いでいる。
- ぺンテコステにおいては、かつての旧約の特定の人たちに聖霊が与えられたものとは異なり、教会という共同体に対してであり、その中の信者すべてに与えられた。
- 聖霊はイエス・キリストの誕生に深い関わりがあった。すなわち、聖霊の超自然的な働きにより、マリヤを通してイエスは誕生した。聖霊がマリヤの上に臨み、いと高き方の力が彼女をおおったことにより、聖なる神の子イエスが誕生したのである。ルカはイエスの誕生とパプテスマのヨハネのそれについて、聖霊の働きによるものであると伝えてあるが、その内容について注意深く区別している。ヨハネの場合は「母の胎内にあるときから聖霊に満たされ」(1章15節)と記されているが、イエスの場合は誕生それ自体が超自然的な聖霊のわざであった。その意味ではイエスは聖霊によるプロダクト(産出)ということができる。
(1) イエスの生涯における聖霊の働き
- イエス・キリストは地上に降って来られた神であるが、同時に完全な人となられた。そして自分自身からは何事もなさらなかった。完全に御父に信頼し、御父に拠り頼むことを選ばれた。その誕生からその死後に至るまで、つまり、その地上の全生涯を通じて、一日たりとも、御霊の助けなしに行動することをなさらなかった。キリストは御霊(聖霊)の助けと力を必要とする道を選ばれたのである。御父に信頼することと、御霊に頼ることは実は同義である。御霊はまぎれもなく、神ご自身であり、「神の御霊」と呼ばれている。
①「誕生」
- 聖霊がマリヤの上に臨み、いと高き方がマリヤをおおったゆえに、マリヤはイエスをみごもった(1章31, 35節)。
②「受洗」
- ヨハネから受洗したイエスは祈っていると、天が開け、自分の上に「聖霊が,鳩のような形をして」下ってくるのを見た(3章22節)。そしてイエスは聖霊に満たされた。
③「荒野の誘惑」
- 聖霊に満ちたイエスはヨルダンから荒野に赴くが,それも聖霊の導きによるものであった(4章1節)。荒野でのサタンの誘惑を受けられ、勝利された。
④「宣教の働き」
- それから「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた」(4章14節)。そしてナザレの会堂でイザヤ書を朗読し、「わたしの上に主の御霊がおられる」ということばが、自分において実現したと宣言する(4章16~21節)。またこのことは、使徒の働き10章38節によっても確証されている。「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし・・」。注14 御霊はキリストの上にとどまられ、キリストのうちに住み、キリストとともに働かれた。
- 実際にイエスの活動が始まると、聖霊に対する言及はそれほど多くはなくなるが、それでも随所に登場する。たとえば、「神の指(聖霊のこと)によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ていると、キリストははっきりと語っている(ルカ11章20節)。そのことを、ヨハネ福音書においては、キリストは、ご自分のうちにおられる御父がそのわざをしておられるとも言っている(ヨハネ14章10節)。
- イエスは「聖霊によって喜びにあふれて」天の父に祈った(ルカ10章21節)。聖霊の力によって、イエスはどんなときにも、どんな苦難の中にあっても、喜びを持ち続けることができた。
- 弟子たちに対しては、当局に連行されたら「言うべきことは、そのとき聖霊が教えてくださる」から心配しないよう励まし(12章11~12節)、聖霊を汚す者は赦されないと警告した(12章10節)。さらに「天の父が,求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」と語って聖霊を求めるよう勧めている(11章5~13節)。
⑤復活後
- 最後の約束ー「わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります」という最後の約束(24章49節)も聖霊のことである.この約束が成就して聖霊が著しく働いた記録が、続編の使徒の働きである。
(2) 聖霊による新しい時代の予告
- ルカの福音書の冒頭の1~2章に登場する人物はいずれも聖霊と関係づけられている。彼らはいずれも旧約的な聖霊の働きを象徴する人物であり、彼らによって準備され、今始まろうとするイエスの生涯を聖霊による新しい創造、神が約束したあがないの成就としている。
- そのために、ルカは特に公的活動開始前のイエスと聖霊の関係を強調し、イエスの活動の源を明らかにする。イエスの活動の前提となる聖霊の働きは、その開始とともに再び強調され(4章14、18節)、この聖霊のもとで新しい創造に向けたイエスの活動が展開されていく(10章21節)。その活動を完成する十字架において、イエスが自らの霊を父にゆだねるとき(23章46節)、それは聖霊の働きのもとで誕生したイエス(1章35節)の生涯を完結するのみでなく、その霊が再び父のもとから送られる(24章49節)新しい霊の時代を予告する(ヨエル3章1~2節参照)。なぜなら、その後、聖霊を受けた使徒たちが(使徒2章1~4節)、聖霊に促されて、イエスのもたらした福音を、すべての民に向けて宣べ伝えていくからである。
- ルカの福音書23章46節でイエスは大声で叫んで言われた。「『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」これはルカ固有の記述である。これは、イエスがその死に際して、父への信頼のうちに霊を父に返す姿を述べている。使命の成就と同時に、イエスが父に返した霊が再び父によって地上に送られ、聖霊の新しい時代がもたらされていく。イエスの活動が聖霊のもとで開始されたように、使徒たちの活動も同様に聖霊のもとで開始されていく。
- このように、ルカは聖霊とイエスの関係を、誕生のみならずその死においても強調し(23:46)、聖なる方、神の子としてのイエスの生涯全体を聖霊の働きのもとで解釈している。そしてこの同じ聖霊が教会の働きの源泉となっていく(ルカ24章49節、使徒2章1-4節)。