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昇天前に使徒たちをベタニヤに連れ出した意味

78. 昇天前に使徒たちをベタニヤに連れ出した意味

【聖書箇所】  24章50節~53節

【新改訳改訂第3版】 ルカ 24章50~51節
50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。


はじめに

  • ルカの福音書の最後の部分の「突っ込み」です。「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ・・」とあります(9:51)。イエスのアフェシス(赦し)の旅の最終地点は、「天に上げられる」ことです。十字架も復活もその通過点でしかありません。イエスの昇天は、使徒パウロの表現でいうならば、天上において、「神(御父)の右の座に着座」することです。その座はすべての支配、権威、権力、主権の上にある座であり、すべての名の上に高く置かれるところの座です。そこにおいてイエスは「イエスの御名」という名を与えられて統べ治められます。やがてそこからこの地上に再臨されるのですが、そのときの再臨の場所は昇天された場所です。その場所とは「オリーブ山」と言われますが、正確に言うならば、オリーブ山の麓にある「べタニヤ」という村です。
  • ルカ24:50~51に「それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。」とあります。後半の「離れて行かれた」とは天に昇って行かれたという意味です。ところで、その前半に「イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行かれた」とありますが、なぜイエスが使徒たちをベタニヤにまで連れて行かれる必要があったのでしょうか。その必然性はいったい何なのかという点が今回の「突っ込み」所です。

1. なにゆえ「ベタニヤ」なのか

  • この部分はそれほど注目されない部分かもしれませんが、実は、旅の最終である「昇天」の前に、使徒たちをわざわざ「ベタニヤ」にまで連れて行き、その場所から昇天されたことには深い意味があります。

新改訳では、「ベタニヤまで」と訳されていますが、他の訳を見比べてみると、かなり微妙なニュアンスを含んだ部分だということがわかります。これもひょっとしたら意図的なのかもしれません。

新共同訳は、「ベタニヤの辺りまで」
口語訳、柳生訳、フランシスコ会訳、岩波訳は、「ベタニヤの近くまで」
山岸訳(エマオ訳)は、「ベタニヤの方向に」
バルバロ訳は、「ベタニヤに」

  • しかし、いずれも「ベタニヤ」という固有名詞は共通しています。「ベタニヤ」は、イエスがエルサレムに来られた時に、そこを本拠地として何度もエルサレムに通われた場所です。地理的にはエルサレムから約2.8kmのところにあり、オリーブ山の東麓にある小さな村です(マルコ11:1、ルカ19:29)。この「ベタニヤ」という地名に隠されている意味について、ここでは特別な説明はありませんが、イエスはそこに「連れ出す」ことによって、使徒たちにその意味を悟らせようとしたと思います。
  • 聖書に記されているイエスのことば、その一挙手一投足には無意味なものはなく、必ずと言っていいほど何らかの啓示的な行為なのです。そうした視点から、イエスが使徒たちをあえてベタニヤに連れ出した意味を探ってみたいと思います。

2. ベタニヤにはイエスを迎え入れたマルタがいた

  • ルカ10:38には、マルタという女性がイエスを「喜んで家にお迎えした」とあります。イエスはマルタという女性によって喜んで迎えられます。歓迎を受けたのです。イエスの宣教の働きが次第に拒絶を受けるようになっていくなかで、この「歓迎」は特筆すべきことでした。もう一人、イエスを喜んで家に迎え入れた者がおります。その人の名は「取税人のザアカイ」です。いちじく桑の木に登ってイエスを一目見ようとしていた彼にイエスは目を留めて、「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」と言われ、ザアカイは急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えました」(ルカ19:5~6)。その結果はどうだったでしょうか。イエスを「喜んで迎えた」者たちの上に、神は特別な祝福を与えておられます。後の時代にも語り継がれるすばらしい出来事がそこに起こっています。イエスを「喜んで迎えた」マルタの家にも主とのすばらしいかかわりが生まれています。

3. ベタニヤにはイエスのみことばにじっと聞き入るマリヤがいた

  • 聖書は、ベタニヤのマリヤについて特別な注意を払っています。マリヤはイエスの語るみことばに聞き入ることで、使徒たちが悟り得なかったことを悟りました。ですから、彼女はやがて死んで葬られることになるイエスに、予め、葬りのための高価な香油をイエスの足に塗り、しかも彼女の髪の毛で拭うことをしたのです。それゆえ彼女は、イエスが実際に死んで墓に納められた後も、他のマリヤたちのように、イエスの墓を訪れてはいません。
  • 彼女のイエスの死に対する悟りは驚くべきものがあります。それほどに彼女の耳は開かれていたのです。またイエスのよみがえりについても、弟ラザロのよみがえりによって確信することができていたと思われます。
  • マリヤに見られる「聞き入る」という専心性は、彼女の生き方そのものであり、やがてそのライフスタイルは使徒たち(弟子たち)にも大きな影響を与えています。ルカは使徒の働き1章14節で、使徒たちは、他の婦人たちやイエスの母と兄弟たちとともに、みな心を合わせ、「祈りに専念」していたと記していますが、この「専念する」という動詞は「プロスカルテオー」προσκαρτεωです。この動詞は、たえず、変わらず、着実に、ひたすら励み、そして続けるという意味をもっています。また、目を覚まして、確実に実行するという強い意志の含みもあります。一つの場所にたえず身を置き、一つの務めに専念(専心)するという意味をもったことばです。これが神に対してなされるのは、まさに「マリヤ・スタイル」です。そのような生き方をする者に対して、神はご自身の秘密を解き明かされるのです。
  • 「ベタニヤ」の語源の意味は明確ではありませんが、「いちじくの家」、あるいは、「悩みの家」「貧困の家」とも考えられています。マリヤの主を求める専心性は、旧約時代から流れている「貧困の霊性」がもたらした賜物かもしれません。イエス自身もサムエルを生み出したハンナをはじめとする神の預言者たちの霊性の流れ、そして母マリヤも受け継いだ霊性の流れの中に育ったと言えます。その霊性とは「貧しき者の霊性」です。イエスが語られた「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」ということばもそのような霊性の流れの中で理解されなければなりません。イエスの弟子たち(初代教会)にもこの「貧しき者の霊性」、すなわち「マリヤ・スタイル」が流れていきます。

4. ベタニヤはヨハネが洗礼を授けた場所であった

  • オリーブ山の東麓にあるベタニヤとは別に、イエスがヨハネから洗礼を受けられたヨルダン川の東側に「ベタニヤ」と呼ばれる場所があったようです(ヨハネ1:28/3:26/10:40)。ヨハネがその宣教をエリコ地域で行ったことは、群衆がユダヤ全国とエルサレムからやって来たという事実から示されます(マルコ1:5参照)。今日、ヨハネがイエスに洗礼を授けた伝承上の場所は、エリコの東南東約9kmにある「エル・マガタス」(エル・マグタス)であると言われています。しかも、そこはキリスト教の最初期にはヨルダン川の東側に置かれていましたが、後代になると川を渡る不便を避けるために、西側に移されたと言われます(三笠宮崇仁監修「新聖書地図」朝倉書店、196頁参照)。
  • いずれにしても、「べタニヤ」はある意味で象徴的です。なぜなら、そこはヨハネが神から遣わされて人々に悔い改めを説いていた場所です。そしてそこは洗礼者ヨハネによく似た旧約時代の預言者エリヤが昇天した場所でもあるのです。さらには、ヨシュアの時代にイスラエルが渡河した場所でもあります。ヨハネの福音書には、イエスの愛するラザロが病気で死ぬ時にヨハネがバプテスマを授けていた場所に滞在していたともあります(ヨハネ10:40)。そこも実は「ベタニヤ」と呼ばれていたのです(ヨハネ1:28)。とすれば、「ベタニヤ」はマトリックス的な場所だと言えます。「べタニヤ」という惑星のまわりにいろいろな衛星が回っているのです。
  • 神への悔い改めのあるところに、神のいのちはよみがえります。ラザロが死からよみがえったように、「ベタニヤ」はいのちを回復する象徴的な場所なのです。
  • 事実、イエスが再臨される時には、ユダヤ人に民族的な悔い改めが起こります。そして「主の御名によって来られる方に祝福あれ」と叫ぶようになります。その叫びを聞いた主が再びこの地に真の王の王として戻って来られるのです。

まとめ(ベタニヤへの「連れ出し」)

  • このように見てくると、イエスが使徒たちを「ベタニヤ」に連れ出したことは、きわめて預言的な行為であったと言えます。「ベタニヤ」はイエスを心から歓迎し、イエスのみことばに聞き入り、神の本意、すなわち神のご計画と心を悟り、そして神に対する悔い改めをもたらす象徴的な場所なのです。しかも主は再びそこに戻って来られるのです。そのことを示唆するための「連れ出し」こそ、ルカ24章50節のことばではないかと思うのです。

2012.12.13


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