最後の士師としてのサムエル
サムエル記の目次
6. 最後の士師としてのサムエル
【聖書箇所】 7章3節~17節
はじめに
- 神の契約の箱かせシロから移動し、それがペリシテ人に奪われた後、それが災いをもたらすということで転々と移動し、それがキルヤテ・エアリムにとどまってから、20年間の月日が経ちました。その間、サムエルについての言及がありませんでしたが、7章からイスラエルの霊的指導者として登場します。
1. サムエルの士師としての務め
- サムエルは預言者として召されましたが、最後の士師(霊的指導者として立てられた)でもありました。その証拠は以下の記述で明らかです。「さばいた」と訳される動詞「シャーファト」(שָׁפַט)が7章において4回も使われています。
「・・・こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。」(7:6)
「サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、ラマに帰った。彼はそこでイスラエルをさばいた。・・・」 (15~17節)
- サムエルは最後の士師として(つまり、王が登場する前の指導者として)、イスラエルの人々に霊的な改革を断行しました。具体的には、イスラエルの全家をして、偶像礼拝の罪を悔い改めさせ、心を尽くして神に仕えさせました。しかしその背景には20年という長きにわたる主の臨在の現われの希薄さによってもたらされたイスラエル全体の嘆きを含んだ霊的渇望があったと言えます。7章2節にはイスラエルの全家が主を「慕い求めていた」(「ナーハー」נָהָה)とあります。それゆえにサムエルは霊的指導者としての士師としての務めをなすことができたと言えます。またサムエルは神への「祈り」と「いけにえ」をささげる祭司としての務めもしています。
- ペリシテ人との戦いにおいてサムエルは勝利をもたらし、ペリシテ人によって奪われた町々を取り戻しました。13節に「サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。」とあります。有能な霊的指導者の有無が大きな影響力を与えることがわかります。
2. 神の介入の仕方は、イスラエルに神への信頼を呼び起こさせる
- ペリシテ人に対する戦いにおいて、イスラエルがしたことと言えば「悔い改めと心から神に仕える」という改革を断行したことでした。それゆえ、神がペリシテ人との戦いにおいて立ち上がって下さいましたが、その介入の仕方は自然界を通してでした。これまでのイスラエルの戦いにおける神の介入の仕方としてしばしば自然界の現象によるものが見られます。
- カナンのシセラとの戦いにおいても、敵の戦力はきわめて破壊力のある戦車でしたが、それがまったく使えない状況をもたらしたのは雨による川の氾濫でした(士師記4~5章)。ここでも戦いの際に、「大きな雷鳴の轟き」による敵の撹乱でした。果たして戦いのたびごとに、まさに「その日」に、こうした想定外の自然界の脅威が必ず起こり得るのか。この世的な目に見える安心材料は何一つないのです。ここにイスラエルの神に対する信頼のテストがあります。
- この世的には全く安心できない戦略です。しかしイスラエルにおいては、神への信頼こそ勝利の秘訣でした。その信頼による勝利を記念して、サムエルはひとつの石を取ってミツパとシェンの間に置き、「エベン・エゼル」(=エベネゼル、「助けの石」という意味)と名づけました(7:12)。
2012.5.22
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