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父のおしえを、ひとみのように守れ

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

16. 父のおしえを、ひとみのように守れ

【聖書箇所】7章1〜27節

ベレーシート

  • 箴言7章は以下のように三つの部分からなっています。
    (1) 1〜5節 「わが子」に対する父のさとし
    (2) 6〜23節 格子窓から見た風景
    (3) 24〜27節「子どもら」に対する父のさとし
  • 父が格子窓から見たものは、女の誘惑に負けてつき従う「思慮に欠けたひとりの若い者」の姿でした。「思慮に欠けた」と訳されていますが、原文では「心の乏しい」(「ハサル・レーヴ」חֲסַר־לֵב)となっています。ヘブル語の「心」は理性的・意志的な面を意味するため、新共同訳は「意志の弱そうな」と訳しています。いずれにしても「ハサル・レーヴ」は、人から人差し指を頭に向けられて「あなた足りないんじゃない」と言われるような侮辱的な表現です。なぜなら、「彼女の家はよみへの道。死の部屋に下って行く(道)。」に迷い込んでいくからです。それゆえ、父のことばを神のことばとして聞き従い、心を留めよと語りかけられているのです。
  • 「ハサル」(חֲסַר)という形容詞は旧約で17回使われていますが、そのうちの14回は箴言にあります(6:32/7:7/9:4, 16/10:13, 21/11:12/12:9, 11/15:21/17:18/24:30/28:16)。詩篇23篇でダビデは「ロー・エフサール」(לֹא אֶחְסָר)と告白しています。それは「私には乏しいことがない」という意味です。主は私たちをそのような者にしようとしてくださっています。

1. 「他人の妻」「見知らぬ女」とは

  • 新約聖書のヨハネの手紙第一で、神との愛の交わり、人との愛の交わりについて書かれていますが、その手紙の一番最後は、「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」ということばで閉じられています。なぜ、偶像を警戒しなければならないのでしょうか。それは、愛の交わりを破壊し、永遠のいのちを失わせてしまうからです。
  • 箴言には、一つも「偶像」ということばがありません。その代わり、「女」についての表現が数多くありまり。今回の箇所だけでも以下に見るように四つあります。

(1) 「イッシャー・ザーラー」(אִשָּׁה זָרָה)

●新改訳はこれを「他人の妻」と訳していますが、新共同訳は「よその女」と訳しています。原語的には「異国の女、他国の女、外国の女」です。「他人の妻」と訳されるとどうしても同族の者の妻というイメージを抱きますが、他の類義語を見る限り、他国、外国の女のことであり、この表現で外国の神のことを意味していると考えます。


(2) 「ノフリッヤー」(נָכְרֽיּה)

●「ザーラー」と同様、「外国の女、異国の女、他国の女、異邦の女」という意味。新改訳は「よその女」と訳し、新共同訳は「異邦の女」と訳しています。「ノフリッヤー」は旧約で45回使われていますが、そのうち9回が箴言で使われています(2:16/5:10,20/6:24/7:5/20:16/23:27/27:2, 13)。


(3) 「イッシャー・ラー」(אִשָּׁה רָע)

●「ラー」(רָע)は文字通り、「悪い女」という意味です。


(4) 「ゾーナー」(זוֹנָה)

●「イッシャー・ゾーナー」(אִשָּׁה זוֹנָה)で「淫行の女」と訳されますが、新改訳・新共同訳は「遊女」と訳しています。7章10節には、「遊女の装いをした心にたくらみのある女」というフレーズがあります。新共同訳は「遊女になり切った、本心を見せない女」が、「思慮に欠けたひとりの若い者を迎える」のです。まさに餌食にされたニュアンスです。「心の乏しい」若い男と「心にたくらみを秘めた」女が出会うのです。

●イスラエルの歴史を概観するなら、イスラエルの「思慮に欠けた」王が、「心にたくらみを秘めた」異邦の神に心を傾けて行った事実があります。その結果、神の民イスラエルは異国に散らされ、あるいは捕囚となったのです。こうした経験を通して、神の教えである「トーラー」に再び心を留めるようになり、そしてそのおしえに聞き従うようになったのです。箴言はそうした経験を踏まえて語られているのです。


  • 「心にたくらみのある女」の特徴は神出鬼没で、いろいろなところで待ち伏せしています。臆面もなく、近づき、たくみにくどいて誘惑します。

【新改訳改訂第3版】箴言7章13~20節
13 この女は彼をつかまえて口づけし、臆面もなく彼に言う。
14 「和解のいけにえをささげて、きょう、私の誓願を果たしました。
15 それで私はあなたに会いに出て来たのです。あなたを捜して、やっとあなたを見つけました。
16 私は長いすに敷き物を敷き、あや織りのエジプトの亜麻布を敷き、
17 没薬、アロエ、肉桂で、私の床をにおわせました。
18 さあ、私たちは朝になるまで、愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。
19 夫は家にいません。遠くへ旅に出ていますから。
20 金の袋を持って出ました。満月になるまでは帰って来ません」と。

  • その誘惑の行く先は「よみへの道」です。この誘惑に多くの者が犠牲になりました。その数は「数えきれない」とあります。誘惑する女も「悪い」のですが、誘惑される側にもそれなりの落ち度があるのです。それは父の言うことに耳を傾けなかったという一語に尽きます。

3. 「私のおしえを、あなたのひとみのように守れ」

  • 父が「わが子」に語りかけている中に、「私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。」とあります。「ひとみ」は目の中にあるリンゴという意味です。詩篇17篇にも「私を、ひとみのように見守り、・・」(新改訳、8節)とあります。「ひとみのように」(「ケイーショーン」כְּאִישׁוֹן)とは「宝のように」という意味の比喩です。日本には「目の中に入れても痛くない」という慣用句がありますが、それは自分の子どもや孫がとても愛らしくてかわいくてたまらない思いを表しています。そのように、「ひとみ(瞳)」はとても大切なものを表わすたとえです。
  • モーセの訣別説教を記した申命記に、イスラエルの民に対する神の思いが次のように語られています。「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。」(32章10節)と、主の民に対するねんごろな思いが「ご自分のひとみのように」と記されています。それゆえ、このような主とのかかわりに対して、「私(主)の命令を守って生きよ。私(主)のおしえをあなたのひとみのように守れ。」(箴言7章2節)、「宝物のように大事にしなさい」(LB)と勧められて(命じられて)いるのです。

2015.11.27


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