****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想(1)「選択」

ת タウ瞑想(1) 「選択」

テキスト | 瞑想(2)

  • 最後のブロックでは、173節にある「私はあなたの戒めを選びました。」に注目したいと思います。人が神を選ぶというのは、詩篇では13回見られますが、そのうちの2回が詩篇119篇にあるということが重要です。「選ぶ」、あるいは「選び取る」と訳されたヘブル語は「バーハル」בָּחַרですが、「選ぶ」というのはきわめて主体的な行為を表わします。それゆえ「選び」は、次節の174節の「あなたの救いを慕っています」「あなたのみおしえは私の喜びです。」とも連動します。それは、なんら強制的なものはなく、自発的、主体的な告白であり、「愛する」と言う動詞と同義です。
  • 119:30にも「わたしは真実の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。」とあります。人が何を選びとるかが重要です。聖書における神の民としての自立とは、神から選ばれて選ぶ、愛されて愛するという信仰的・主体的決断に基づく服従の選択意志を意味します。イエス・キリストは弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだのです。」(ヨハネ15章16節)と言われました。ヨハネの手紙では「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私の罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。この愛に対して、私たちがどのように応えるべきか問われているのです。
  • 私たちの人生の様々な局面において(失敗の経験も含めて) 、神の先行的な選び(無条件の愛)に気づかされていくことが大切です。そこから新しい歩みの新芽が芽生えてくるからです。そこに身を置くならば、自分の存在を脅かす者に対しても決して恐れることはなく、むしろ、それが自分を成長されてくれた「愛すべき敵」とさえ思えるようになると信じます。


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