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瞑想(2)「保証人」

ע アイン瞑想(2) 「保証人」

テキスト | 瞑想(1)

  • この段落には、詩篇で1回しか使われていない動詞があります。その箇所は122節で「保証人となる」ということばです。「保証する」「保証人となる」と訳された動詞は、アーラヴעָרַב(`arav)で、旧約で17回使われています。最も多く使われているのが箴言の6回で、軽々しく、軽率に保証人となることを戒めています。他人の負債の保証人とならないように、保証人となるときには抵当を取ること、もし騙されたと気づいたなら、どんなことをしてでも保証人の責任から逃れるように勧めています。
  • しかし反対に、保証人となってくれる者がいなければ困る者たちも多くいたはずです。日本でも、病気になって入院するときとか、部屋を借りたりするときや、お金をかりる場合には、必ず、保証人が必要です。もし、保証人がいなければ入院することさえできないのです。保証人となることはそれなりの覚悟が必要です。
  • 確固として信頼できる保証人となってくれる存在が一人でもいるということは、実に大きな安心です。ヤコブ(イスラエル)の12人の子どもたちの中で、次第に指導権を得ていくのは4番目のユダでした。荒野で行進していくときにもユダが先頭でした。なぜ、彼の部族がイスラエルの先頭に立ち、やがて神の民の歴史の中でリーダーシップを取っていったかといえば、彼が自分の兄弟に対して自分が保証人となったことが考えられます。それが創世記34, 36章に出てきます。
  • 食糧が尽きた時、イスラエル(ヤコブ)はベニヤミンを身辺にとどめるか,一族が生き延びるために彼を手放すかの選択を迫られたとき、それを納得させたのはユダでした。ユダは父に次のように言って説得しました。「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼をたたせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(43:9) と。
  • もう一箇所、ヨセフは自分と同じ母の子であり父の溺愛するベニヤミンを用いて、兄弟たちを試みようとしたとき、ユダが兄弟たちを代表してヨセフの前に弁明し嘆願する姿が描かれています。「このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。』と言って、あの子の保証をしているのです。ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」(44:32) ここに麗しい保証人の姿があります。ユダ族はこのことのゆえに、兄弟たちを代表する者となったようです。このユダからやがてイエス・キリストが生まれて来るのです。
  • 詩篇119篇121節にある「あなたのしもべの幸いの保証人となってください。」(新改訳)という願いは、主なる神が自分の全責任を負ってくださる保証人となってくださるという信仰をもって嘆願しています。保証人となるにふさわしい方は神以外にいないからです。


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