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瞑想Ps101/A

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瞑想Ps101/A

  • いろいろな聖書を見ると、詩篇に聖書の表題とは別に、その詩篇のタイトルが記されています。たとえば、
    • 関根訳「王の歌」
    • G・A・F・ナイト(尾崎訳)「王たる者の誓い」
    • 典礼訳「王が神にささげる歌」
    • ヴァイザー(ATD)「君主鑑」
    • フランシスコ会訳「若き王の決心」
    • アプリ訳「支配者」
  • このようにタイトルはその詩篇のテーマと関連していますから、タイトルを見るだけで、その詩篇テーマが何かを考えることができます。料理人が適当な材料ではなく、良い材料を見つけ出して手に入れるように、私たちも材料となる瞑想のテーマを正しく掴むために、タイトルのついた聖書を見てみるなら、的外れな瞑想にならないで済みます。
  • 瞑想する「みことば」にもこだわつてみる必要があります。たとえば、詩101篇1節の「私は、恵みとさばきを歌いましょう。」には、二つの名詞があります。ひとつは「恵み」です。もうひとつは「さばき」です。最初の「恵み」と訳されたヘブル語は「ヘセド」(חֶסֶד)で、神の民イスラエルに対する神の揺るぎない、確かな愛を表わすことばですが、「恵み」と訳しているのは新改訳と岩波訳です。新共同訳では「慈しみ」と訳され、「いつくしみ」とひらがなで訳しているのは、口語訳とフランシス会訳です。典礼訳では「あわれみ」とか「愛」と訳しています。原語のヘセドが、日本語訳だけでも、「恵み」「慈しみ」「いつくしみ」「あわれみ」「愛」と訳されているのです。
  • もうひとつの「さばき」と訳されたことばは「ミシュパート」(מִשְׁפָּט)です。新改訳とバルバロ訳は「さばき」と訳し、新共同訳では「裁き」と漢字で表記しています。フランシスコ会訳、典礼訳では「正義」、関根訳では「公義」、岩波訳では「公正」、アプリ訳では「権威」と訳されています。
  • 「恵み」と「さばき」は、神のイスラエルに対するかかわりの原理であり、支配原理です。このような原理にもとづいて、この詩篇の作者である王は、神とのかかわりにおいて、4つの約束をし、また、民とのかかわりにおいては三つの誓いをしています。

    (1) 四つの約束(動詞に注目)

    • 「私は、全き道に心を留めます。」(2節)
    • 「私は正しい心で、自分の家を歩みます。」(2節)
    • 「私の目の前に卑しいことを置きません。」(3節)
    • 「私は曲がったことを憎みます。」(3節)
    • 「私は悪を知ろうともしません。」(3節)

    (2) 三つの誓い(動詞に注目)

    • 「陰で自分の隣人をそしる者を、私は滅ぼします。」(5節)
    • 「私の目は、国の中の真実な人々に注がれます。」(6節)
    • 「朝ごとに、私は国の中の悪者をことごとく滅ぼします。」(8節)
  • 神の代理者として上に立つ者は、立つことだけを考えるのではなく、立つ前にあらかじめどうあるべきかを考えておかなければなりません。まさにこの詩篇は「君主鑑」、つまり、指導者としての鑑(かがみ)と言えます。
  • イスラエルの歴史において、王としての高い倫理基準をもって統治した王は決して多くはありません。北イスラエル王国と南ユダ王国にはソロモン王以降、それぞれ20人の王が立てられましたが、北イスラエルではその基準をもって統治した王は皆無でした。南ユダ王国では七人の王が「主のみこころにかなった」と評価されています。

⇒イスラエル歴代の王のチャート参照

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