****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps104/A

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瞑想Ps104/A

  • この詩篇の特徴は、自然界において啓示されている神の威容ー尊厳と威光ー、つまり神のマジェスティ(Majesty)がたたえられていることです。詩篇の作者は天における神のマジェスティと地における神のマジェスティについて描いています。

    10 主は泉を谷に送り、山々の間で流れさせ、11 野のすべての獣に飲ませられます。野ろばも渇きを癒します。12 そのかたわらには空の鳥が住み、枝の間でさえずっています。13 主はその高殿から山々に水を注ぎ、地はあなたのみわざの実によって満ち足りています。14 主は家畜のために草を、また、人に役立つ植物を生えさせられます。人が地から食物を得るために。15 また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。油によるよりもつややかにするために。また、人の心をささえる食物をも。16 主の木々は満ち足りています。主の植えたレバノンの杉の木も。17 そこに、鳥は巣をかけ、こうのとりは、もみの木をその宿としています。18 高い山は野やぎのため、岩は岩だぬきの隠れ場。


  • この詩篇の中で、私が特に感動することは、自然における有機性ということです。有機性とは、太陽や月、雨も風、山も川、そして水の流れ、すべての生き物たちが、それぞれ単体で存在することはあり得ないこと、すべてが結びついて、密接なかかわりと統一をもって存在していることです。つまり、単体では決して意味を持ち得ないような、連帯・連関を持っていることです。こうした自然の神秘を通して、神は、御自身の三位一体(御父、御子、御霊なる神)としての存在、そして神と人、キリストのからだなる教会における各肢体とかしらの関係、夫婦や家族の存在のあり方を啓示しているのです。
  • 自然界のすべてが緻密な有機性をもって存在しているにもかかわらず、人間の傲慢さは、あたかも自分ひとりで存在しているかのように錯覚しているところにあります。私たちはもっと自然の営みに目を向け、謙虚に自然から学ぶべきだと信じます。もし自然の有する有機性がひとたび崩れるならば、それを回復することはきわめて難しいからです。今日、地球全体が、人類全体がその危機に瀕しています。自分ひとりが良ければいいという考え方は、やがては自分自身をも滅ぼすということを知らなければなりません。世界の危機を救うことができる定式は、私たちひとりひとりが神の愛によって結び合わされ、有機的に生かされることを通してです。しかしそのような能力は私たち人間にはないのです。このことを悟らなければなりません。
  • 自然の神秘をたたえる104篇の最後の節(35節)の「罪人らが地から絶え果て、悪者どもが、もはやいなくなりますように。」という祈りは唐突さを感じさせますが、これは、人間の罪によって虚無に服せられた被造物(自然)を、虚無に服せられた方によって、本来の創造の目的にかなってすべてを一新してくださるという希望を前提とした祈りであると信じます。
  • 「あなたは御自分の息(ルーアッハ)を送って彼らを創造し(バーラー)、地の面を新たにされる。」(新共同訳、30節)

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